三菱 A7M2 艦上戦闘機 烈風11型




<実機について>

 緒戦の破竹の進撃も一頓挫し、無敵と思われた零式艦上戦闘機の問題も明るみに出てきた昭和17年、海軍は三菱に対し零戦の後継たる艦上戦闘機の試作を命じます。要求に際し、海軍側はあくまで翼面荷重130kg/m2以下という数値に固執し、このため日本の艦戦としては前代未聞の巨大な機体となりました。現代に至るまで、

「艦攻か?おどれは。」とか「着ぐるみを纏った零戦」とか

揶揄される所以であります。更にこれまた海軍の強硬な要求により、主機は三菱側の主張した自社MK9A(後のハ43)ではなく、当時売り出し中の中島製“誉”発動機を搭載をすることとなります。しかし、昭和19年4月に完成した試作1号機は当初の期待を大きく下回る性能に終わり、試作5機のみで不採用。三菱には

あ〜、もうええから君ら、紫電改でも作っといて。

という有難い言葉まで賜ります。やれやれ。

 これに対し三菱は低性能は発動機の不調によるとして、試作6号機の主機を自社製MK9A(後のハ43)に換装したA7M2を自主制作し、同年10月には試作機を完成させ、海軍の審査において「零戦の再来」との評価を得るに至ります。昭和20年6月には制式機となり、最重点機種として期待を集めたものの、生産体制が整わなかったことなどから試作8機のみで終戦を迎え、遂に戦局を覆しえなかった悲運の名機として名を残す…とされてます。

 尤も現代における烈風の評価は些か異なるところがあり、運動性はともかく速度627m/hは1945年の水準ではかなり遅い部類であり、運動性を過重視する零戦の思想から抜けきれていないのではないかというところが一般の認識ではないかと思われます。また、誉から換装されたハ43の信頼性、そして供給能力にも問題を指摘する声もあります。特にハ43の供給については、試作機の初飛行から終戦まで半年以上あったにも係らず、生産が全く進まなかったことの主因ではないかとの指摘もあり、試作がもっと順調に進んだり、最初から「誉」でなく「ハ43」を装備していれば、その分早く生まれていたというような簡単な話でもないということでしょう。速度で同等の「紫電改」に運動性でも勝るということで、単純にもっと早く生まれていればそれだけ活躍した機体であることは間違いないのでしょうが。

 機体を見ると確かに「うすらデカい」印象は拭えません。主翼も外翼のみに上反角(翼胴干渉による抵抗を減らすらしいんですが)がついていて、零戦のようなすらりとした感じはありませんし。しかし見ているとなんとなく堀越さんらしい空力的に洗練された形状は窺えますし、第三風防から後部胴体に流れるラインの滑らかさなど、思わず撫で回したくなるような…異常でしょうか。ともあれ誰がなんと言おうと、レシプロ単葉単発牽引型の戦闘機という、1930年代から40年代に掛けて一世を風靡した形式の、日本における進化の最終形(戦争という極限状況の中で些かいびつな進化を遂げたきらいも無くはないですが)というべき機体として、是非、

全国のご家庭に一機、零戦と並べて飾って頂きたい

ものです。


三菱 A7M2 艦上戦闘機 烈風11型
寸法諸元11.0×14.0×4.3m(L×W×H) 全備重量4,720kg
主機三菱 ハ43・11型 (離昇2,200HP) 最大速度627.8km/h(5,660m)
初飛行昭和19年10月(A7M2) 最大航続距離
武装三式13mm機銃×2、99式二号20mm機関砲×2


<キットについて>

 1/72ではファインモールドから誉発動機装備の試製烈風、ハ43装備の烈風11型の両方のキットが出ています。やや古めのキットではあり、当時のファインモールドのキットの例に漏れず外板の表現やモールドは人によってはくどさを感じるものでしょうが、私的には「らしさ」が出ていて良いんではないかと思っています。1996年頃に再販されたので、エッチングパーツ付き2,800円の品をこれ幸いと買い込み、ついでに将来用にもう一個買い占めました。結果、2001年に1,800円(エッチング付2,000円)で再生産されて泣きを見ることになります。また、同社から専用のエッチングパーツ単体も出ています。

 他にアオシマの大戦機シリーズでも出ていましたが、現在では入手困難でしょうし、仮にどこかで投売りしていても内容的に購入の価値は無いと思います。


<製 作>

 ファインモールドのキットはハセガワなんかの1/72と比べると(引き合いに出して済みません。)コックピットの密度があって、私的基準ではちょうど1/72でキャノピーを閉めるなら、キットのままで何もしなくても良いかなと思える程度なのが良いです。翼胴の接合部以外は合いもそんなに悪くなかったです。

 同梱のエッチングパーツは計器盤、シートベルト、脚カバー、増槽の振れ止めで、現行の別売りのものも基本的に同様だと思います。(自転車とか付いてますが。)因みに結局使いませんでした。脚カバーはキットそのままでも充分薄いと思うし、孔の空いてないエッチングの計器盤なんてとても塗れません、私…。


<塗 粧>

 烈風は終戦までに7機が完成したのみで実戦部隊配備機はありませんでしたから、今回は唯一写真の残っている空技廠領収3号機としました。因みにキットにはサービスで343航空隊と302航空隊への配備を想定した機番デカールがついています。順番から行くと横須賀空が先に入るべきでは…どうでもいいですね、おまけだし。

 スピナーの塗色についてですが、元々紫電、紫電改あたりが強風からの流れでスピナーを機体色に塗装したという説が有力だったと思いますが、その後、中支航空隊の雷電のカラー写真からスピナーが機体色であったことが判明し、現在ではVDM系のプロペラの場合はスピナーを機体色にしていたのではないかという説が有力のようです。烈風については空技廠領収3号機のプロペラを外した写真しかないので真相は判りませんが、製作当時はそんな話は全く知らなかったので、スピナーまで暗褐色です。(つまり、言い訳だな。)

 機体上面はグンゼの特色の三菱系濃緑色(124)、下面が明灰白色(35)です。主翼下面と胴体の日の丸、主翼前縁の味方識別標識を塗装にして、下面色と上面色の間はエアブラシのフリーハンドで仕上げました。実はこのとき生まれて初めて日の丸を塗装したのですが、上面の日の丸は白フチに失敗して後からデカールを使ったりしてます。いやはや当時は若かった…。

 デカールを貼った後で田宮アクリルのクリアとフラットベースを4対1で混ぜたものを吹いて艶を整えています。


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