Messerschmitt Bf109E-3a ユーゴスラビア王国空軍

1/72 田宮模型




<実機について>

 全方位外交というか八方美人外交というか、とにかくあっちこっちから飛行機を買い付けようとしていた感のあるユーゴスアラビア空軍。英国からホーカーハリケーンを買い込む傍ら同じ1938年初頭にはドイツからBf109Eを購入する交渉が開始されます。そんな八方美人っぷりが信用されなかったのか単に輸出に回せるほどのエミールがなかったのか交渉は長引きますが、なんとか翌39年の4月には50機のBf109E-3を輸入する交渉がまとまり、6月には更に50機の追加購入が決まります。交渉が長引いたとは言え、本家ルフトヴァッフェにも行き渡っていない最新鋭機を他の枢軸諸国に比べると相当に早く、それもこれだけまとまった数輸入できるわけですから、ドイツも友好国としてのユーゴスラビアには相当に期待していたということなんでしょう。実際の納入が39年秋以降の、少しでも戦闘機を揃えたいフォニー・ウォーの期間におこなわれているのも同様の期待を伺わせます。まぁ結果的には仇になるわけなんですが…。

 それでも100機の注文のうち届いたのは73機で、しかも色々なスペアパーツの不足などからなかなか実際に飛べる数は揃わなかった模様。エンジンだけは手回し良く最初の50機のついでに25台の予備エンジンを頼んでおいたんだそうで、貴重なDB601をハリケーンに積もうなんて話が出てくるくらいですから、その他の消耗品なんかが余程不足していたんでしょうなぁ。

 41年4月のドイツ侵攻時には58機が前線にあったことになっていますが、例えばサラエボ方面の32nd Grupaでは34機中可動機が12機なんて話もあり、実際に飛ばせた機体はかなり限られる模様。尤も21機しかないベオグラード方面では一度の空戦に12機が参加した記録なんかもあるんで相応の可動率は保っていたんでしょう。しかし、運用や管制は相応に拙かったようで、ものの本には“稚拙な連携と地上での損耗のため、空軍が組織的な抵抗を示す機会はなかった(←例によって意訳)”とすっぱり書かれております。ベオグラードへの最初の空襲を迎撃したのがIk-2とIk-3だけだったなんて話もありますし。

 結局Bf109は戦闘機9機、爆撃機11機、不明4機の戦果を挙げるも引き換えに40機ほどが空戦やら地上撃破やら事故やらで失われ、残った機体の多くも接収されないように友軍の手で破壊されてしまったんだとか。どさくさに紛れて消息不明なまんまの機体も少なからずあるらしいんですが、まぁ戦争に負けた側の記録なんてそんなもんですわなぁ。

Messerschmitt Bf109E-3a
寸法諸元9.87×8.80×3.43m(W×L×H) 全備重量2,803kg
主機DB601A(離昇1,175HP) 最大速度555km/h (5,000m)
初飛行1939(E型) 最大航続距離660km
武装MG17(7.92mm)機銃×2、一部機体はMG/FF(20mm)機銃×2


<製 作>

 ARR機を作った時の経験でコックピット内部は殆ど見えないことが判ったので、今回はシートベルトの追加のみ。他は全くの素組です。主翼のMG/FFはあったよ説、なかったよ説、色々だよ説等々あるんようですが、塗装前に孔を塞ぎ忘れたこともあってあったことにしてみました。(←適当)

 塗装は上面RLM71、下面RLM65の単色塗装。デカールは国籍標識のみKORA model。本当はこのデカールセットに収録されている黒のL-80にするつもりだったんですが、デカール貼りで失敗してしまったもので、それならとちょっと派手な白のL-26の機番を自作しています。


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