Messerschmitt Bf109G-2/R6 ルーマニア王国空軍




<実機について>

 スターリングラードで大損害を蒙り、一時は前線に張っている戦力はBf109Eが10機とHe111Hが6機だけという惨状を呈したARR。1942年から43年にかけての冬は大規模な再編の時期となります。まず46機のG型が供与され、Bf109Eを装備していた第7戦闘航空群とI.A.R.80を装備していた第9戦闘航空群がBf109Gに改編されました。第7戦闘航空群の一部はドイツ空軍のJG3と共にドイツ−ルーマニア合同戦闘機隊を編成し、この時も約40機のBf109Gを貸与されています。

 ルーマニアに対するBf109Gの供与はその後も続き、G-2、G-4、G-6を併せて200機以上が供与されたほか、I.A.R.のBrasov工場でライセンス生産も行われ、戦後の完成も合わせると75機が生産されています。これらの機体は第7、第9戦闘航空群、独立53戦闘中隊などに配備され、当初は東部戦線と本国の防空に1個戦闘航空軍ずつを振り向けるような形で運用されていましたが、米軍によるプロエシュチ油田への爆撃が本格化し、空戦性能に劣るI.A.R.80の損害が嵩むようになると基本的にBf109は本土防空に専念するようになります。

 44年8月の寝返り時までには戦闘機隊は相当に損耗していた上に、寝返りに伴う混乱で失った機体も多く、9月の時点でBf109G装備部隊は3個戦闘機中隊を擁する第7/9混成戦闘航空群に縮小され、いつの間にかこれが第9戦闘航空群ということになってしまいます。その後も戦闘機隊はBf109Gを主力に終戦までドイツ空軍、ハンガリー空軍等と戦闘を続けますが、戦果の割りにえらく損害が嵩んでいるのも悲しい現実。ドイツ空軍機の技量もさることながら、今までドイツの防空管制システムに依存していた部分が大きかったのではないかと思います。

 作例は1943年の改編初期に第7戦闘航空群に所属していた機体。同じような塗装でトップエースのカンタクジノ大尉の乗機とされる白の4番、次点エースのシェルバネスク大尉の白の1番なんかもあるんですが、ガンパックの付いたG-2/R6にしたかったのでこの機体に。グリーンのオーバーペイントは1943年の一時期にだけ見られるようで、先の合同航空部隊内でルーマニア機を見分けやすくするためという話も聞いた事がありますが、同じ写真の中に74/75迷彩とグリーン単色の機体が混在している写真もあって実は良くわからなかったり…。最初の何機かだけはそれまでと同じ塗装に塗ろうとしてみたけど、

途中で力尽きてそれっきり

というのが一番ありそうな答えかもしれません。


<キットについて>

 ファインモールドの1/72 Bf109G-2は主翼に主輪収容バルジが無く、レトロフィットによってバルジのついた機体を狙うならG-4のキットを買ってきたほうが実は楽。G-2に必要なパーツは風防を除いて一式入っていますし、風防も殆ど変わらないのでモールドをごく一部削り落とすだけでG-2が作れます。で、まぁG-6だとその上更にG-6用のパーツが追加された形になっているので、デカールに拘らなければこれが一番お買い得ではあったり…。


<製 作>

 そんなわけで、G-4のキットをベースに素組。シートベルト、ラジエータのインテイクの仕切り板、オイルクーラーインテイクの支柱を追加しています。主翼の20mmガンパックは紆余曲折の果てに、これまたファインモールドから限定品で発売されたG-6/R6から略奪してきました。挽き物の銃身がなかなかいい感じで、どうせ使わない迷彩デカールより遥かに嬉しいかも。

で、塗装なんですが、この機体も上面はダークグリーン一色と見せかけて、その実オーバーペイントする前のルフトヴァッフェ迷彩が透けまくっています。仕方ないのでこれまた(斑点迷彩の再度の練習を兼ねて)ルフトヴァッフェ制式のRLM74/75/76迷彩を一度塗り、上から薄めたRLM71を吹き付け。主翼の鉄十字も型紙を作って吹いていますがフィンランドと違いルーマニアの国籍標識が殆ど鉄十字の上に来るので徒労だったかも。

 デカールは、基本的にE-3を作る時にも使ったA modelの“Bf109E-3 Rumanian Aces”の残り。これまた白縁のずれが激しかったので、その部分だけアルプスプリンタで自作して重ね貼りしています。因みについ最近セルビアのLift Here! Decalというメーカーからルーマニア、クロアチア(いいのか?)、ハンガリーなどのBf109Gを収録したデカールセットが出ていることを知ったんですが、まぁ入手も面倒なので、今回は見送りと言うことで…。


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