Heinkel He111A-0 中華民国空軍

1/72 RODEN




<実機について>

 幾多の軍用機が参加したWWIIですが、1939年9月の開戦時期に既に第一線にあり、かつ終戦時まで生産が続いていたという機種はそうそうありません。直に名前の挙がるBf109やスピットファイアと共にこのWWIIを戦い抜いた機体の一つが実はハインケルHe111だったりします。しかし、最初に試作された主機にBMW VIを積んだ形式は重量過大のために要求速度に達せず、ドイツ空軍には敢えなく不採用決定。後に主機をDB600に換装したB型が大々的に採用されることとなります。

 当然、最初に作られたBMW VI搭載の10機は宙に浮いた形となっていたんですが、よせばいいのにこの先行量産型を買った(というか売りつけられた)のが中国国民党空軍。まぁお隣に小さいくせに軍事に関しては妙に気合の入った某国もいたりするので、このやたらでかくてはったりの効いた爆撃機は魅力だったんでしょう。多くの場合軍隊のお仕事が戦争をすること以上にはったりを効かせることであることを思えば、割といけてる買い物だったかも知れません。これで実際に戦闘が起こらなければ何の問題もなかったんでしょうが…。

 1936年末にはA-0型として6機が国民党空軍の第19重爆撃戦隊に配属され、翌37年に日華事変が勃発すると爆撃隊の一翼を担うことになります。しかし、8月25日には1905および1903の2機が撃墜され、また10月1日には1機が漢江上空で味方Hawkの誤射により撃墜されてしまいます。インストの解説によると39年にも1機が誤射で失われたことになっていますが、もしかしたら上記の事例とごっちゃになっているのかも知れません。

 その後の消息は良く判りませんが、少なくとも1機は相当後まで残っていたようで、エンジンを空冷型(解説によるとツイン・ワスプ)に換装された写真が残されています。大方訓練用や輸送機としてそれなりに安穏な余生を送ったのかも知れません。

Heinkel He111A-0
寸法諸元22.6×17.51×4.0m(W×L×H) 全備重量8,220kg
主機BMW VI.6.0 (公称660HP) 最大速度310km/h
初飛行1935年(試作一号機) 最大航続距離1,950km
武装MG15(7.92mm)機銃×3、爆装1,000kg


<キットについて>

 ハセガワからの新作も良し、イタレリの旧作もそれはそれで良しとキットに恵まれた後期型に対し、段付き機首、楕円翼の初期型を作ろうとすればRODENのキットに頼るしかありません。A型の他にB型、ソリッドノーズのC型、E型、テーパー翼になったF型と主要タイプをことごとく網羅する気合は高く評価したいところです。機首部分が分割されているところを見ると、ハセガワとかち合わなければ後期型への進出も視野に入っていたのでしょう。できれば

この気合がキットの出来にも反映されていれば…。

因みに、ナセルやノーズのパーツが差し替えになるので、基本的にコンパチではないです。作りたい型にあったキットを買って来れば済む話ではありますが。

 ひとまず箱を開けると全体にびっしりリベットが打たれていたり、しかもそれがあちこちかすれたり湯流れの不良に埋まっていたりするのにたじろぎますが、基本的なモールドは凹でちゃんと(これまたところどころかすれていますが)入っていますし、そもそもリベットは細かすぎてさほど目立たないのであまり問題にはならないと思います。真の問題は全てのパーツがまったく合わないことで、まぁひたすら頑張るしかありません。やっぱりハセガワが初期型まで展開してくれたほうが…。折角なので、愚痴を兼ねて主要な問題点を列挙しておきます。足回りだけは妙に合いが良かったり、恐ろしく細かいパーツがきちんと抜けていたりと評価すべき点も多いのですが。


ローデン1/72 He111A問題点一気出し
クリアパーツ側面窓のクリア部品(A2)は胴体側の穴と高さ、幅、厚みすべてが一致しません。また機首のクリアパーツも大体0.5mm程度の段差は覚悟して掛かったほうが良いです。
臓物計器板(A3)は何故かクリアパーツです。基本的に一枚板で、モールド、デカール等一切ありません。また、機首下面クリアパーツ(A7)に取り付ける内部パーツ(C5、C6)はインストの通りにつけると後でA7を胴体に付ける時に干渉します。胴体内の隔壁(C12、C13、C14)は何れも胴体と干渉します。削っておかないと左右胴体が合わさりません。爆弾槽もそのままだと胴体と干渉します。上を削るか、取り付け位置を下げるかするしかないでしょう。あと全長も短いのでこれに両側の隔壁パーツを取り付けてしまうと、全体が胴体に嵌まらなくなります。
主翼主翼は兎に角上面と下面で大きさが違いますから、(特に翼幅だと1mm以上異なる。)とにかく強引に合わせて段差を削り倒すしかありません。またところどころ成形不良と思しき謎の盛り上がりが見られ、当然削り落とすとモールドもごっそり消えてしまいます。動翼部分は全て下面パーツと一体となっていて上面の主翼と動翼の境界が接合線になる形式ですが、ここのラインが一致していないので盛大に隙間が空きます。しかもそれが上面に来るので丸見え。主翼内部に仕込む脚納庫は、高さを切り詰めてやらないと納まりません。後端(B3、B8)で胴体側5.5mm、外翼側5.0mm程度まで切り詰める必要があります。(因みに元のパーツの高さは7〜8mmくらい。)またインストで切り詰め指定のない前端側も1、2mm切り詰めてやらないといけないようです。
ナセル廻りナセルのパーツも相当に合いが悪く、基本的に面一になりません。また排気管(G12、G13)も全長で1mm以上削ってやらないと指定の場所に嵌まりません。スピナーは先端孔あり(B39)が指定されていますが、写真を見る限り先端孔なし(B40)が正しいようです。因みにパーツ一覧ではB39にもB40にも不要部品マークが付いていませんな。当然ナセル廻りも主翼の切り欠き部に全く嵌まりません。あと自分のミスの可能性もあるので確かではないんですが、どうもナセルの左右指定が逆になっているように思えます。
翼胴接合主翼は胴体側の受け穴を若干広げてやると意外にぴったり嵌まり、上半角もそれなりに決まります。但し(よりによって上面に)1〜2mm程度の隙間ができました。
デカールデカールは透ける、凄い勢いでひび割れる、後から浮く、余白が目立つと何一つ良いところがありません。フィンフラッシュは青が一番上に来るのが正しいと思うのですが、まぁどの途使えないので関係ありません。機番は801と803の選択ですが、当初の機番が19xxであったようであり、かつ1903号機が早期に失われていることを考えると803を書いた機体があったかは微妙なところです。まぁどの途使えないので…(略


<製 作>

 細かいモールドをぐちゃぐちゃと付けるのは得意なRODENだけあって、コックピットはそれなりの出来。適当に塗り分けてシートベルトやレバー類をさりげなく追加してやれば、意外と見栄えのする感じになります。後期型と違って後部銃座に天蓋がかぶらないので、ここからは内部が素通しになります。壁面やら渡り板の上にジャンクを追加してやると割と良い感じです。以前H型を作った際のエッチングパーツの余りが活躍しました。ハーモニカ爆弾槽は板状のパーツを組み合わせて作る凝ったものですが、胴体との干渉をうまく処理できず、偶々ハセガワのジャンクがあったので、そちらを使ってしまいました。内部の隔壁は単体でも胴体と干渉するばかりか隔壁の間隔も辻褄があっていないことが多いので、爆弾槽や床板を挟んで2枚の隔壁を接着するようなところは、一方の隔壁は接着しないで胴体にのみ取り付けるようにしたほうが安全です。

 主翼やナセル廻りは上記のような次第なんで、兎に角

 切り欠きを拡張
 ⇒アラインメントに注意して接合
 ⇒段差をナイフで修正
 ⇒隙間にパテや瞬着を注入
 ⇒削り倒し

という作業になります。モールドはなるべく残したいところですが、なるべく消さないようになんて考え出すと何も出来ないので、あとから復元する方向で削り倒すしかありません。

 塗装はインストの指定通りのベタ塗り迷彩。上面の緑はイメージ優先で、クレオスのフィールドグリーンFS34097(340)をベースにRLM02(くすませるため)、RLM61(茶味を出すため)、RLM70(気が付くと明る過ぎたのを一気に補正するため)辺りを調合しています…が、いざ塗って先に作ったI-15bisと並べて展示してみると殆ど変わらない色になっていて愕然としました。これも最初に家の蛍光灯の下で塗ったときは妙に青みがかって見えたのに、某展示会に並べた時は逆にかなり茶色がかって見えたりと相当にデリケートなところではあります。下面はRLM02なので、クレオスのRLM02(60)をホワイトで明るくしたもの。これも塗る前の段階で色を合わせてしまったので、いざ塗ってみると若干違和感があるかも。

 デカールは上記の通り全く使えないので、フィンフラッシュは塗装で機番は自作。国籍標識はたまたま大きさがぴったりだったAzurのブレゲー27から奪ってきました。しかしまぁなんだかんだでこうしてみるとやはり1936年の機体としてはでかいし、いかにも新しそうだしで、なかなかハッタリの効いた機体ではあります。国民党空軍が騙された気持ちもあながち判らないではないような…

 尚、本作品は2007静岡ホビーショー合同展示において、オービーズブースにて展示させて頂きました。


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