Polikarpov I-15bis

1/72 ICM




<実機について>

 ポリカルポフ先生の傑作にして、一躍ソ連邦を戦闘機大国の座に押し上げたI-15チャトの直系となる後継機。I-152と記されることも多い機体ですが、我が家のバイブル“Polikarpov's Biplane Fighters”では

 ・I-15のガル翼を通常形式に直した後継機はあくまでI-15bis
 ・I-152は1938年以降の生産型として計画された機体で、結局量産には至らず

としていますんで、そちらに倣ってみたいと思います。

 最大の特徴はI-15ではガル状になっていた上翼を通常形式の直線翼に改めたこと。どうも着陸時の下方視界を重視する用兵側からのクレームが直接の要因だったよう。こーゆー用兵側の苦情は実運用からしかでてこない貴重な指摘だったり、逆に単なる旧態への固執だったり、更には両者のない混ぜだったりして色々とややこしいんですが、とまれこの時は用兵側の主張が通った形で旧来の直線翼に戻されることとなったのでした。が、問題はI-15より性能が良くなるどころか、事もあろうにむしろ悪化してしまったこと。まぁエンジンはM-25Vに強化したお陰でとりあえず性能もところによっては上がっているわけだし、そもそも

今更チャトに戻すとも言いかねるし

というわけで、後のI-153の開発に至るまで生産は続行されてしまうのでした。いいのかなぁ。

 ただまぁ、軍の受領試験の結果を待たずに生産に入っていること、早々にI-15無印の生産を停止してしまっていることなどを考えると、基本的にI-15bisはその名の示す通り上翼の取り付け構造を変えただけのマイナーチェンジ版であって、性能も大方殆ど変わらないと踏んでいたのでしょう。300kgの重量増も上翼の取り付け構造の変更だけが原因とは考えにくく、I-15の生産中に施されたちょっとした装備変更や構造の補強が既に相当に積もっていたのではないかと思います。実際、生産型の性能が試作機に比べてがったり落ちているのはよくあることですし、確かに急降下制限速度は向上していたりしますし。

 そんなどさくさに紛れてともかく主力戦闘機になりおおせたI-15bisは、I-15の後を継いでスペイン共和国空軍の支援に回されますが、既に左前の戦局を何とかするには至らず早々に帰還。そんなI-15bisが大活躍するのが1937年からの日華事変で、義勇飛行隊として4個飛行隊が派遣されたほか、国民党空軍にも相当数の機体が供与されます。ただ、日本陸海軍が単葉の97戦、96艦戦を投入してくるとやはり性能面での不利は否めず、特にソヴィエト義勇飛行隊は半数をI-16装備の飛行隊と入れ替えています。

 結局1937年から1939年までに2,408機が生産され、最後の20機強は主機をシュヴェツォフM-62に強化したりもしています。もうちょっと改修したI-152の計画もあったのですが、流石にもう面倒になってしまったのか、39年からは後継のI-153に生産が移行してしまいます。その後もI-15bisはしぶとく前線に留まり独ソ開戦時にも多くの機体が失われています。流石にこの頃になると戦闘機としてよりはPo-2と協力しての夜間襲撃などが主任務だったとか。1943年になっても一部では複座に改造された機体が観測機として使われていたといいます。


Polikarpov I-15bis
寸法諸元10.20×6.27×2.19m(W×L×H) 全備重量1,750kg
主機M-25V(公称750HP) 最大速度370km/h (3,500m)
初飛行1935.05.21 最大航続距離520km
武装PV-1(7.62mm)機銃×4


<キットについて>

 スペインで大活躍した先代は各社からキットが出ているものの、I-15bisとなるとAviation USKのちょっと微妙なキットしかなかったのがここ数年の状況だったんですが、最近気合の入ったオリジナルキット(と時々某社の劣化コピー)をだしているウクライナのICM社から2004年に新キットが発売されて一気に恵まれた状況となりました。

 尤もいざ作ってみるとパーツの合いはICMにしてもやや微妙で、4パーツからなるカウリング側面をきれいに面一に組むのは大変ですし、中央支柱も少し長かったりと辻褄の合わない部分もちらほら。また、翼端支柱は一本にまとまっている上に接着面積が小さいので、角度を決めるのが大変。初心者には辛いキットかも…

というか辛かったです。ええ。

 
因みに車輪型とスキー装備型の二つのパッケージがあり、コンパチにはなっていないので要注意。また車輪型にスパッツが付いていないのは何とかして頂きたいところではあります。現場ではあらかた取っ払われていたとは言え、一応工場出荷時点ではデフォルト装備なんですし。


<製 作>

 そんなわけで、さらりと素組…とはいかないこのキット。まずぶち当たるのはコックピット内部パーツの位置が合わないこと。とにかく椅子の背もたれが所定の位置にこないので、インストを無視して椅子パーツを床板に付けずに胴体パーツのほうに瞬着で点付けし、あとからランナーで筋交いを入れて補強。インストと睨めっこするより気合で行ったほうが良い感じです。カウリングはとにかくひたすら摺り合わせて面一になるようにし、それでも隙間ができる分は多少モールドが潰れるのを覚悟でパテを盛って削るしかありません。というか正直、ICMの皆さんには申し訳ないんですが、この辺りのモールドはくど過ぎなんで、多少消したほうが良いんではないかと思います。  棟上は中央支柱を基準にするほうが位置決めがし易そうではあったんですが、どうも翼端支柱と長さの辻褄があっていなさそうな感じ。だとすると後から翼端支柱の長さを調整するのは大変そうなので、翼端支柱を基準に棟上し、中央支柱のほうを調整して辻褄を合わせることにしました…が、

これがもう大変。

良くあるN字支柱と違って単支柱で幅がないので、取り付け角度がぜんぜん決まらず、その上厚みもないので接着もままならずと悪戦苦闘。何とか仮付けした後から流し込み接着剤で接合部を入念に溶かし付け直し、更に継ぎ目消しがてら黒瞬着で固めています。

 張り線は基本的に貫通法。写真で見ると割とごっついワイヤーのようなので、1.0号のナイロンテグスを使用。最初から黒い色が付いているハゼ釣り用で横着しています。カラー写真では張線も下面色にちゃんと塗ってある写真もあるんですが、そこまでの気力はなし。貫通させた外側の処理に自信がなかったので一旦上翼上面、下翼下面を塗り残して塗装し、張り線を張って貫通跡を処理してから塗り残し部分を塗装しています。

 この機体、写真で見てもスパッツがまだ外されていないので、工場を出てからあまり経っていない可能性が大。だもんで塗装は純正ソヴィエト風にしてみました。下面はおなじみクレオスのライトブルー(20)、上面はかなり茶色がかった感じを出すためフィールドグリーンFS34097(340)にRLM81(121)を殆ど半々くらいに混ぜています。フィンフラッシュはインディブルーに青(5)をちょっと混ぜて塗装。デカールはサイズの合うものが上手く調達できず、結局上面の国籍標識は降下猟兵さんからの頂き物、下面はアカデミー1/72のP-51Bから略奪、その他は自作と寄せ集めになってしまいました。まぁそれはそれで国民党っぽくてよいのかも。

 尚、本作品はJMC2006オービーズブース等にて展示させて頂きました。



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