Polikarpov I-15
1/72 ICM
<実機について>
I-5の成功でひとまず刑務所からは帰ってこれたポリカルポフ先生、中央設計局TsKBでも設計チームの一つの主任におさまり、先ずは順風満帆かに見えました。しかし、やっぱり何かそういう星のもとにでも生まれたのか、今度はソヴィエト航空界の重鎮ツポレフ先生と喧嘩。先生の1の子分でもあるパヴェル・スホーイ先生のチームの副主任に格下げされてしまいます。そんなわけでやっとポリカルポフ先生に順風が巡ってくるのは1932年にセルゲイ・イリューシン先生がTsKBのトップになってから。設計第五課の主任に戻ったポリカルポフ先生は勇躍かねてより構想をあたためていた2種の戦闘機…つまりI-15とI-16の設計に取り掛かります。
I-15はスホーイ先生のI-14と並行して開発されたもので、当初はI-14aと呼ばれていたといいます。モックアップの段階では引き込み脚やら密閉風防やら色々新機軸を備えた機体だったんですが、蓋を開けてみると1934年7月に初飛行した初号機は固定脚、解放風防の些か保守的な機体。I-5から特に変わっているところは上方視界を優先してかガル型になっている上翼と、一本に纏められた翼間支柱くらいでしょうか。一説によると並行開発のI-16が冒険的な新機軸てんこ盛りなので、こちらは保守的にしてみたんだとか。ただ、このガル翼が運用側にはえらく不評だったんだそうで、結局1934年、35年の2年間に384機が生産されただけでI-15の製造は終了してしまいます。I-15bisの製造が37年に始まるまでこの系列の戦闘機は1年以上まったく作られていなかったわけで、よほどチャトが嫌われていたか、I-15bisの量産が入口でこけまくったかのどちらかなんでしょう。
そんなチャトが一躍その名を馳せたのが1937年に始まったスペイン内戦。人民戦線側の要請に応えて送られたチャトはI-16と共に戦闘機隊の主力となり、マドリード防衛戦やバスク防衛戦、テルエル侵攻などの主要局面で地上部隊の上空援護をおこない、時には地上掃射などもおこなっています。評価としてはHe.51には圧倒的、CR.32とも互角以上というところであったとか。ただ、He111などの近代的な爆撃機には置いていかれることも多かったなんて話もあります。
最終的に155機(153機説、139機説などもあり)がロシアから送られ、相応の損耗もあったものの最大時には4個飛行隊が維持できていたとか。しかしその後は急速に消耗し38年夏には可動機が十数機にまで落ち込みます。スペイン側も修理やらライセンス生産やらを頑張って一時は持ち直したものの、結局は優勢な反乱軍に押し切られていったのでした。それでも工場で製造中の機体なども含めて相当数が残存してナショナリスタに鹵獲されており、1940年3月の時点でスペイン空軍は53機のチャトを運用しており、更に部品取り用に72機を確保していたとか。それらの一部は練習機などとして50年代半ばまでも現役であったと言います。
ロシアからのI-15供与状況 |
到着日 | 機数 | 陸揚港 | 運送船 |
1936.10.13 | 18 | Cartagena | S/S Staryy Bol'shevik |
1936.10.16 | 7 | Cartagena | S/S Lava Mendi |
1936.10.23 | 6 | Cartagena | S/S Gheorgi Dimitrov |
1936.11.15 | 15 | Bilbao | |
1937.01.02 | 15 or 16 | Santander | |
1937.02.14 | 31 | Cartagena | S/S Aldecoa |
1937.7月以前 | 31 | | |
1937.7月以前 | 31 | | |
Polikarpov I-15 |
寸法諸元 | 9.75×6.1×2.19m(W×L×H) | |
全備重量 | 1,900kg |
主機 | M-25V(公称750HP) | |
最大速度 | 337km/h (3,000m) |
初飛行 | 1933.11.18 | |
最大航続距離 | 530km |
武装 | PV-1(7.62mm)機銃×4 |
<キットについて>
スペインで大活躍したこともあってか何気にキットに恵まれているI-15。もともとAviation USKのキットがあったところに今世紀に入ってからはPavla modelとMPM系列のキットが相次いで発売され、更には2005年にウクライナのICM社からも発売と百花繚乱状態。先行のAviation USKはちょっとプロポーションが微妙なようですが、海外模型サイトの評価など見るとそれ以外は割りと素性の良いキットのよう。まぁどれも簡易インジェクションですからそれなりの作りにくさはあるでしょうが…。
ICMのキットは赤軍バージョンとスペイン内戦バージョンの2種類のパッケージがあり、デカール以外は同じもの。赤軍バージョンは通常塗装の他に有名な機体側面に赤いペナントを描いた機体が入っており、内戦バージョンは人民戦線派2種とナショナリスタの鹵獲機2種が入っています。世評はこれが決定版ということになっているものの、カウリングが全体に小さめだったり排気管が何故か集合排気管になっていたりとちょっと微妙なところも。まぁこの辺りはPavlaやMPM系も似たり寄ったりらしいんですが…。
<製 作>
ICMのI-5系もこれだけ作っていると流石に慣れてくるので、コックピット内部パーツの位置が合わない位は強引に押し切ってしまえるようになります。そうなると上翼の棟上がない分I-5やI-15bisより寧ろ製作は楽。ただ、上翼と胴体の合いはあまり良くないので、パテやらなんやらは必要になります。ただ、翼端支柱の勘合があまり良くなく、えらく薄く仕上がっていて接着面が極小なこともあって、ちゃんと取り付けるのはなかなか困難。結局現物あわせをしながら削り込んでいく羽目になります。
結局どこかで苦労するようにはなっているんだなぁ…。
主輪はスパッツ付きと無しが選択でき、スパッツ無しにしても主輪は一緒なのでえらく薄いものになります。が、実は実戦参加機の多くは不整地運用のために主輪を厚い(元の100mmに対して150mm)に換装しており、できれば手を入れたいところ。今回はたまたまI-15bisにスパッツ付きの脚を渡してI-15bisの厚い主輪をI-15に持ってくるというおいしいトレードが出来たのでそれを使っています。
張り線は例によってに貫通法。黒いハゼ釣り用で横着するのもいつもの通りです。塗装はマーキングの恰好良さに惹かれてナショナリスタ鹵獲機に。もとの塗装の上から茶色を塗ったということで、上面の緑はフィールドグリーンFS34097(340)をベースにし、下面はロシア機の定番ライトブルー(20)。茶色は戦後はイタリアの影響が大だろうということで、RLM80をベースにしてみました。デカールはそれほど大きいものがないので安心していたら、やっぱり割れまくって苦労しました。上翼のラウンデルも思いっきり透けてるし…。
尚、本作品はJMC2007オービーズブースにて展示させて頂きました。
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