Polikarpov I-180E-3

1/72 A model




<実機について>

 I-15/I-16シリーズの大成功で今や“King of Fighters”の称号を勝ち得たポリカルポフ先生。当時のソ連邦でそんな名声を得ることか本人のためになるかどうかは些か微妙なところですが、ともかく戦闘機に関しては押しも押されぬ重鎮になったわけで、当然、先生もI-16の後継機となる戦闘機の設計に取り掛かかることになります。1938年の3月には一次設計が終わっていたと言いますから、I-16もまだM-25V搭載機がばりばり生産されていた頃で、相当に手回し良くやっていたと言って良いんではないでしょうか。しかし、エンジンについては狙っていたツマンスキーM-88が間に合いそうになかったり、ならばと選んだナザロフM-87は推力不足で要求仕様を満たしそうにないと早くも暗雲が立ち込め始めたのでした。そもそも

1938年に600km/hという要求に無理があったんじゃないか

という気もしないではないですが…。

 それでもハイピッチで開発は進み、なんだかんだで同年12月15日には1号機が初飛行を迎えます。テストパイロットはI-16の初飛行も担当した今やロシアで最も有名なパイロット、ヴァレリー・チュカロフ。しかし上空でエンジンが停止し、不時着を試みた機体も倉庫に衝突して機体は全損。チュカロフも助かりませんでした。最終的に原因は前面のシャッターがなかったことによる過冷却とされますが、それまでに設計局スタッフにサボタージュの疑いが掛けられたり、お陰で主任設計者のトマシェヴィッチが引っ張られたりと散々だったとか。

 幸いにして開発は続けられ、1939年4月27日(一説には19日)に初飛行した2号機は高度5,850mで540km/hという性能を叩きだし、メーデーのパレード上空を飛行したり、8月18日の空軍の日に展示飛行をおこなったりと順調にフライトを重ねますが、その2週間後の9月5日にはやはり滑油系の故障が原因で墜落。チャトの開発から係わってきたベテランパイロットのTomas P. Suziも助かりませんでした。

 相当に雲行きは怪しくなったものの、

せやけど、悪いのはエンジン(と滑油系)や!ワシの機体やない!

 というポリカルポフ先生の訴えが奏功してか開発は続けられ(トマシェヴィッチが収容所から帰って来れたのか、どこにも記述がないのがちょっと気になるんですが…)、10機の増加試作機の発注までこぎつけますが、そこでまた3号機が墜落。しかも今度のは

 縦安定の確保のため尾翼を増積
 →尾翼がバフェッティング
 →仕方が無いのでやっぱり縮小
 →飛行中不安定(どんなモードかは判りませんが)に陥って立て直せず
 →仕方なくパイロット脱出

という流れだそうで、どうみても機体が原因な上にどうも小手先の改造では如何ともしがたいところに嵌まりこんでいた模様。先生的にはつらい展開ではあります。

 3号機の事故がどこまで究明され、不具合が解消されたのかは判りませんが、おおかたこの事故が致命的だったんでしょう。事故の前に発注されていた10機の増加試作機を最後にI-180の生産はおこなわれず、やがて設計局も住み慣れた第1工場から第51工場への移転を命じられます。増加試作機も本当に10機全部が作られたかは良く判らない上、うち一機はまた着陸時の主脚の不具合で全損扱いになってしまったんだとか。不屈の人ポリカルポフ先生はなおも更に強力なM-71エンジンの搭載を目指してこれが後のI-185に繋がっていきますが、そこでこれまでの苦労が報われるかと言うと、そんなことは全くなかったのでした。


Polikarpov I-180E-3
寸法諸元10.09×6.88×2.54m(W×L×H) 全備重量2,424kg
主機M-88R(公称1,000HP) 最大速度575km/h (6,900m)
初飛行1940.02.10(3号機) 最大航続距離900km
武装ShKAS(7.62mm)機銃×2、UBS(12.7mm)機銃×2


<キットについて>

 ソヴィエト連邦の変な試作機といえばやっぱりウクライナのA-model。どういうわけか3号機だけがキット化されています。1、2号機も欲しい気はするし、特に同じM-88の1号機はパーツなんかもかなり共通にできそうな気がするんですが、やはり縁起が悪いと思ったんですかねぇ。

 主翼パーツの前縁から滑油冷却器のインテイクがにゅっと伸びている異様なパーツ分割に一瞬たじろぎますが、組んでみると意外に合いもよく、A-modelの中ではベストに近い出来の良いキット。主翼の動翼部が上面パーツに一体でついているので、後縁もそれなりに薄く仕上がっているのも有難いところです。

 何と言っても惜しまれるのはスキー装備が入っていないこと。全面赤塗装の良好な写真は殆どスキー装備のものですし、無駄に前傾した脚柱とスキーの組み合わせはとてつもなく恰好良いんですが…。M-88仲間にして駄作仲間のI-190を車輪装備で作ると、恐らく同じ型と思しきスキーが余るのでお奨め。


<製 作>

 A modelとは思えないほど合いもよく、翼の後縁なんかもシャープなこのキット。組み上げるだけなら速攻でできますが、そこはA modelですからあちこちに意外なキズやヒケがあるのはお約束。塗装前には一度サフ吹きしておくことをお奨めします。インテイクの縁とかを薄く削っておくと尚良かったかも…。

 塗装は男らしくGSIクレオスのレッドFS11136(327)一色塗り。国籍標識も本当はない(というより、当時のロシア機、特に試作機は全体が赤一色や赤星の代わりに赤帯だったりして、基本的に赤い色そのものが国籍を示しているという考え方だったんではないかと思っています。)んですが、まぁそれはそれで寂しいのでメーカーもサービスで入れてくれたと思しき銀色の星デカールを胴体左右にだけ貼ってみました。

 尚、本機はがらんどうさんの主催で2006年暮れから翌年07年に掛けておこなわれた年越しモデリング「DONNAMONDAI4」にも参加させて頂きました。フライングで手をつけるわ、いつまでも完成しないわという不良参加者ではありましたが、快く(←想像)参加者に含めて頂きました。




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