状態だったんではないかと思います。その上更に何回かの飛行をおこなっただけで1941年2月にはまたもや不時着により機体が損傷。残ったのは高度5,000mで488km/hという、まぁ複葉機としては破格とは言え1941年の新鋭機としてはしょんぼりな結果だけでした。因みに、ものの本ではdamaged in a forced landingとなっているんですが、写真を見るとものの見事に機体がひっくり返っていて、これを不時着と呼んで良いのかは些か疑問でもあります。上翼が支えてくれなかったらパイロットの命はなかったでしょうから、まぁ複葉の意味はあったのかも知れませんが…。