Polikarpov I-190

1/72 A model




<実機について>

 戦闘機は小回りが利いて何ぼというのはおなじみ極東の某国の例を引くまでもなく各国空軍関係者の陥り易い罠ではあるんですが、1933年に低翼単葉の高速番長I-16を世界に先駆けて実用化した赤軍空軍も、その罠にどっぷり嵌まっていたのは案外知られていないところかも。まぁ小回り一本槍という話ではなくて、スペインの戦訓から単葉の高速機と格闘戦向きの複葉機の併用がいけそうだと思ってしまったようで、元を辿ればなまじ早い時期に単葉機を主力にしてしまったために、短所のほうもはっきり見えてしまったという辺りが遠因なんでしょう。その単葉機があまりに尖がった性格だったせいかもしれませんが…。

 まぁそんな次第で複葉のI-15シリーズが1938年デビューのI-153まで引張られて、お陰でノモンハンで苦戦したりするのはまぁ仕方ないとして、そこでもう一声複葉機をやってしまったのは些かやり過ぎだったんではないかと…。この究極の複葉戦闘機の開発は液冷のI-170と、I-180と同じ空冷のツマンスキーM-88を装備したI-190の二本立てで進められますが、39年の秋にはミコヤンが設計局の人員を引き抜いて独立してしまったこともあって、I-170のほうはあえなく中止。この辺りの経緯は“Polikarpov's Biplane Fighters”によると、先生が視察旅行に行ったドイツから帰ってみると

I-170のチームがごっそりいなくなっていた。

というなかなか衝撃的なものであったようで、相変わらずポリカルポフ先生も苦労させられてます。というかこの人ツポレフ先生とも対立したりしてるし、I-15/16で一山当てなかったら間違いなくシベリアで人生を終えてたんじゃないかと…。

 それでもI-190開発は進められ、1939年の末(12月30日だそうですから、本当に盆も正月もあったもんじゃないですわな。)には初飛行にこぎつけます。しかしエンジンがやたらと不調だったり事故があったりで飛行試験は進まず、1940年4月には主機をM-88Rに換装してようやく再開。このときにカウル廻りのデザインも変更されています。それでも冷却不良が相次いだりして今度はM-88Aに換装。そろそろこの辺りからスタッフも

新型機のテストをやってんだかエンジンの開発試験を手伝わされてるんだか良くわからない

状態だったんではないかと思います。その上更に何回かの飛行をおこなっただけで1941年2月にはまたもや不時着により機体が損傷。残ったのは高度5,000mで488km/hという、まぁ複葉機としては破格とは言え1941年の新鋭機としてはしょんぼりな結果だけでした。因みに、ものの本ではdamaged in a forced landingとなっているんですが、写真を見るとものの見事に機体がひっくり返っていて、これを不時着と呼んで良いのかは些か疑問でもあります。上翼が支えてくれなかったらパイロットの命はなかったでしょうから、まぁ複葉の意味はあったのかも知れませんが…。

 更には速度不足を補うために2号機にはタービン過給器を追加とかもう何がしたいんだかわからない計画も立てられますが、2号機の完成を待たずにNKAPからの中止命令が来て万事休す。そもそも1940年までにI-180の一連の事故で目一杯上層部の期限を損ねたりしていることを考えれば、不時着まで1号機の試験が続けられたのすら奇跡の範疇じゃないかという気もしないではないですが…。


Polikarpov I-190
寸法諸元10.2×6.5×2.5m(W×L×H) 全備重量2,112kg
主機M-88A(公称1,000HP) 最大速度488km/h (5,000m)
初飛行1939.12.30 最大航続距離720km
武装ShKAS(7.62mm)機銃×2、UBS(12.7mm)機銃×2


<キットについて>

 I-180の項でも同じことを書きましたが、ソヴィエト連邦の変な試作機といえばやっぱりウクライナのA-model。I-190は比較的最近のキットなんで、A modelにしては割と組み易い部類に属します。カウル回りの異なる初期状態とエンジン換装後の状態が両方作れるコンパチになっているのも好印象。脚も車輪とスキーが両方選択できるようになっていて、

ICMの皆さんも出来たら見習って頂きたい

と思うことしきりです。スキーの脚柱取付け部はとんでもなくしょぼいですが…。

<製 作>

 個体差もあるのかもしれませんが、部品がいいように歪んでいる関係で合いは結構悪く、接着せずに仮組みするとどうやっても組み上がらなくて愕然としますが、力任せに押さえ込みながら接着していくとちゃんと形になってくれるちょっと不思議なキット。寒暖の変化が激しいと残留応力でばらばらになったりするのかも知れませんが…。ただ、胴体下面や翼胴の接合部には結構ごっつい隙間が出来ますから、気前良く黒瞬着を盛り上げてやります。当然A modelですからあちこちに意外なキズやヒケがあるのもお約束。

 ガル翼ですから上翼の位置は胴体に取り付ければ決まってしまうんですが、そこで支柱との辻褄がまったく合わないのもお約束。あんまりまじめにやっても頭が痛くなるだけなので、これまた無理やり接着して隙間には黒瞬着を奢ります。こうして書いてみると結構力任せにやっているような…。

 塗装はこの頃の試作機には珍しく、明るめの単色塗装。内装のグレイで塗っちゃっても良いかも…とかいっそ標準下面色のライトブルーで…と思いましたが、あまり能天気なのも何なので、無彩色っぽい色ということでGSIクレオスのグレイFS26440(325)をそのまま使用。国籍標識はデカールをそのまんま使っています。張り線は例によって貫通法。上翼外側から胴体に張る線だけが通常のパターンと異なっているため、胴体側にヒートンを埋め込んで折り返しています。実際はこれが更にダブルラインだったりするんですが、そうすると胴体側では4本のラインが集まることになって大変なのでまぁ省略ということで。


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