*1) |
おなじみ“Lavochkin's Piston-Engined Fighters”によると、そもそもNKAP(People's Commissariat of Aircraft Industryをロシア語で略すとこうなるんだそうで)の技術部門の長であったゴルブノフの元でラボーチキンが設計を始めたのがLaGG設計局の始まりの始まりのよう。(後にやはりNKAPにいたグドコフが加わる。)で、何でそれがLaGGの順になっているのかと言うと、これまた3人が喧嘩ばかりしているのを見かねたNKAPの御指名なんだとか。ゴルブノフ視点で見るとNKAPを出て店を構えたとたんに元部下に、それもNKAP直々の差し金で乗っ取られてしまうわけで、本人的にはかなり梯子を外された感がありそう。まぁ後に彼がLaGG-3の軽量化に凄まじく傾倒するのも、それを機に主導権を奪い返したいとかいった思いがあってのことだったのかも知れません。 |
*2) |
…とさらっと書いていますが、実はこの辺りTsAGIと設計局がどの程度イニシアチブを持っていたのかもよく判らなかったりして、解説では機首下面のインテイクを主翼前縁根元に持ってきたのは設計局となっているのに、TsAGIの改造試験機の写真では既にインテイクが主翼前縁根元にあったりと若干の混乱がみられます。まぁどっちでもいいっちゃいいんですが…。 |
*3) |
…と言いつつ、ものの本には「Yakこそ赤軍の最強戦闘機!低空番長のラの字などとはわけが違う!」などと書いているものもあり、もしかしたら高空性能はどちらも似たようなもので、ただお互いに貶めあっているだけなのかも知れません。 |