Lavochkin La-7

1/72 Eduard




<実機について>

 元上司のゴルブノフ*1)と喧嘩し、LaGG-3の相次ぐ不具合に悩まされ、果ては

工場を乗っ取りにやってくる辣腕ヤコブレフ先生

に怯えと苦労の絶えないセミョーン・ラボーチキン先生。しかしLa-5の成功とLa-5F、La-5FNと更なる向上のお陰でやっと先生にも一息つける日がやってまいります。エンジンの換装換装で突っ走ってきたLa-5シリーズもちょっと腰を据えて色んな改良を施す余裕が出てきたわけで。

 その辺りの思いはTsAGIも同じだったとみえて、1943年の後半からLa-5FNの空力的な洗練のための改造試験を開始。機首上面で評判の悪かったオイルクーラーの胴体下面への移動、金属製の主翼主桁の導入による軽量化、主脚ダンパの強化、武装のShVAK×2挺からB-20×3挺への強化などが取り入れられます。これを受けて*2)ゴーリキーのラボーチキン設計局で1944年型のproduction standardが作られ、これがLa-7と呼ばれることになります。ただ、武装はB-20が間に合わなかったために、生産型では結局ShVAK×2挺のままだったんだとか。

 1944年夏から部隊配備されたLa-7は前線での評判も良く、“Lavochkin's Piston-Engined Fighters”でも

Yakみたいな低空番長とはちょっとワケがちゃうねんで。

と主張されていたりする辺り、バランスの良い機体であったことが伺えます*3)。45年初頭からは機銃もプロトタイプ同様B-20×3挺に強化されるなどの改良も加えられ、後継機のLa-9の出現まで赤軍空軍の最良の戦闘機との評を守り続けました。イヴァン・コジェドゥーブなど後期に台頭したトップエースの乗機としても知られています。

*1) おなじみ“Lavochkin's Piston-Engined Fighters”によると、そもそもNKAP(People's Commissariat of Aircraft Industryをロシア語で略すとこうなるんだそうで)の技術部門の長であったゴルブノフの元でラボーチキンが設計を始めたのがLaGG設計局の始まりの始まりのよう。(後にやはりNKAPにいたグドコフが加わる。)で、何でそれがLaGGの順になっているのかと言うと、これまた3人が喧嘩ばかりしているのを見かねたNKAPの御指名なんだとか。ゴルブノフ視点で見るとNKAPを出て店を構えたとたんに元部下に、それもNKAP直々の差し金で乗っ取られてしまうわけで、本人的にはかなり梯子を外された感がありそう。まぁ後に彼がLaGG-3の軽量化に凄まじく傾倒するのも、それを機に主導権を奪い返したいとかいった思いがあってのことだったのかも知れません。
*2) …とさらっと書いていますが、実はこの辺りTsAGIと設計局がどの程度イニシアチブを持っていたのかもよく判らなかったりして、解説では機首下面のインテイクを主翼前縁根元に持ってきたのは設計局となっているのに、TsAGIの改造試験機の写真では既にインテイクが主翼前縁根元にあったりと若干の混乱がみられます。まぁどっちでもいいっちゃいいんですが…。
*3) …と言いつつ、ものの本には「Yakこそ赤軍の最強戦闘機!低空番長のラの字などとはわけが違う!」などと書いているものもあり、もしかしたら高空性能はどちらも似たようなもので、ただお互いに貶めあっているだけなのかも知れません。


Lavochkin La-7
寸法諸元 9.80×8.67×2.54m(W×L×H) 全備重量 3,265kg
主機 Shvetov ASh-82FN(離昇1,850HP) 最大速度 665km/h (5,000m)
初飛行 1944.1 最大航続距離 660km
武装 ShVAK(20mm)機銃×2 or B-20(20mm)機銃×3


<キットについて>

 ど派手な(でも趣味の悪い)シャークティースや機体に書き殴ったスローガンなど模型映えなら文句なしのLa-5に押されてか何気にろくにキットのなかったLa-7。でもそのお陰で

ここスキ間っぽいから、とりあえづだしてみよか。

とエデュアルドが出してくれたりする(←想像)わけですから世の中何が幸いするかわかりませんやな。機首機銃が2挺のバージョン、3挺のバージョン、両方作れてエッチングも付いてくるProfiPack、何故か2機入ってるDual Comboと地味にバリエーション展開もしています。まぁ両方作れる後2者のほうがお奨めなんでしょうが、結局2挺版のパーツも3挺版のパーツも一枚のランナーに一緒についてるんで、デカールを他所から持ってくるならどれでも良いのかも…。

 キットはスピナーの形が微妙なところを除けば文句のない出来映え。そのスピナーもパテとかプラ板とか盛らずとも削りだけでそれなりの形になりますから、それほど問題はないと思われます。ズヴェズダのLa-5と比べて2回りくらい機首が細いのがちょっと不安ですが、“Lavochkin's Piston Engine Fighter”の図と突き合わせると0.5m程度細身なくらいですから、まぁ誤差の範囲かと。ただ「Laのカウルは太い」という巷の印象と反する方向に誤差が出ているので、違和感を覚える人は覚えるかもしれません。もうひとつの問題は翼弦がやや短いことで、これまた内翼と外翼の接合部で1mm強不足している模様。これまた「ソ連機はテーパーがごっつい」という巷のイメージに逆らう方向なので…(略。その他に強いて難を挙げるなら後部キャノピー付近の合いが微妙なことくらいでしょうか。


<製 作>

 そんなわけで、さらりと素組…と言ってもProfiPack版なんでエッチングなんかは使っているわけですが。スピナーはやはり途中の変曲点がきつすぎる印象なので、軽く削り込んでやります。キャノピーの形状の都合で座席の後ろの空間も外から見えるわけで、「まぁ空っぽでええのやろ。」と放っておいたんですが、後に某会に持っていった際に宮脇さん(仮名)から

無線機ってどこに付いてるんですか?(←詰問)

と突っ込まれる羽目になります。そんな目に遇いたくない方はちゃんと調べて追加しておいてください。

 インストの塗装指示によると、AMT-11(明るいほうのグレイ)がグレーFS(317)、AMT12がエクストラダークシーグレー(331)となっているんですが、以前のHurricane Mk.IId同様と同様の理由でAMT-11はミディアムシーグレイ(335)、AMT12は特色のオーシャングレイと軍艦色(32)をほぼ1:1で混ぜたものにしています。下面色もインストではフタロシアニンブルー(323)をそのままという大胆な指示だったんですが、ちょっとそこまで思い切れなかったもので定番のライトブルー(20)。尤も降下猟兵さんあたりに言わせると、

ソ連機の下面色はメディテラニアンブルーより鮮やか

とかで、まぁ確かにそう見える写真もあるんですが…。



ソヴィエト/ロシアの航空機インデックスに戻る
トップページに戻る