Yakovlev Yak-3

1/72 ハセガワ




<実機について>

 極東の某国同様、航空用大馬力エンジンの開発はあまり得意じゃなかったりもする大祖国戦争当時のソ連邦。当然、もっと良い戦闘機を作ろうという話になると、兎に角小さく、軽くという路線が出てくるのも極東の某国と一脈通じるところではあります。幸い何をするにも大洋やら不毛の荒野やらを渡らないといけない極東の某国と違って航続力の要求がぬるかったりするから、小さくする方向には何の歯止めもないし…。

 (おそらく)そんなわけで、最強のドッグファイターを目指して1943年当時の一番いけてる戦闘機Yak-1の軽量化バージョンYak-1Mの開発は始められました。ソ連機の添字でMと言えばModernizeerovannyy(つまりmodernized?)であることが多いんですが、この場合は軽量化バージョンにふさわしくMoskit(つまりMosquito)のMなんだとか。そうやって思いつきで添字を色んな意味に使うのは混乱のもとだからやめていただきたいんですが…。とにかく主翼の桁とリブを金属化し、また翼幅も減らして小型・軽量化を追及した機体はYak-1B(1943年型)の2.9tに対して概ね2.6〜2.7tという軽量化を達成。性能的にも試作2号機が最高速度651km/h(高度4,300m)を達成するなど満足なものを示してYak-3としての生産が決定されます。

 因みに開発がYak-7、Yak-9より後なのにYak-3なのは、1941年にI-30として開発されたYak-1のバリエーションに一度は割り当てられたYak-3が空き番になっていたためと言われています。I-30はYak-1の問題点を改良したバージョンと言いつつ何気に主機が高高度用のM-105PDになっていたり、この頃のソ連機には珍しく主翼にShVAK機関砲を装備しようとしていたりと要するに何がしたかったのか良く判らない飛行機なんですが、一度はYak-3の型番を振られていることでも判るようにかなり本気で量産されかけていた模様です。中止になった原因としてRed Star本ではアルミニウムの不足(I-30は主翼桁を金属化する予定でした。)や生産体制の混乱が挙げられていますが、そもそもM-105PD自体が後にYak-7やYak-9にも載せようとしてろくな結果に終わっていないエンジンですから、要するにこいつが間に合わなかっただけなんではないかと…。*1)

 全くの新規開発ではなかったとは言え、Yak-1からの変更点も結構多かったこと、主機としてブースト圧を高めたVK-105PF-2の熟成を待ったことなどのために初飛行から実戦配備にはそれなりの時間がかかり、実戦への投入は1944年初夏までずれ込みます。一説によると、Yak-1も含めた全体の生産量が減少するのを嫌ったために生産転換も遅れたとか、そもそもYak-3自体がやたら生産に手間のかかる機体だった*2)とかいう話もあるんだとか。実際、前線に投入されたYak-3は制空戦闘に無類の強さを見せますが、既にルフトヴァッフェが左前のこの時期、任務が次第に制空戦闘から爆撃機の援護や対地支援にシフトしていくと搭載量、航続距離で不利なこともあって些か影が薄くなっていきます。

 バリエーションとして武装をB-20×3に変更したYak-3Pや軸内砲をNS-37に強化したYak-3Tも開発されますが、終戦もあってP型が少数生産されたのみ。主機をVK-107やVK-108に強化したバージョンも試作されますが、これも熟成していないエンジンの不調もあってVK-107搭載型の第一ロットが生産されたのみに終わります。ただまぁVK-107は手の掛かるエンジンという評価こそ変わらないものの、Yak-9UやYak-9Pで相応数が使われていたり、後には

北朝鮮ですら使いこなしていたり

するわけですから、やはりYak-3に対しては熱意の薄さを感じずにはいられません。結局Yak-3は制空戦闘に特化した分、ジェット機へ移行していく時代に陳腐化するのも早かったわけで、F8Fやグリフォン・スピットファイアあたりと意外に重なる位置づけなんではないかと思っています。

Yakobrev Yak-3
寸法諸元9.20×8.49×2.42m(W×L×H) 全備重量2,660kg
主機VK105-PF2(公称1,240HP) 最大速度651km/h (4,300m)
初飛行1943.1 最大航続距離900km
武装ShVAK(20mm)機銃×1、UBS(12.7mm)機銃×1or2*3)


*1)更に余談ですが、試作機3機が3機とも全損という危険な戦闘機I-180の飛行試験を生き抜いたテストパイロットであり、後にモスクワ防空を担う2つのMiG-3 Squadronの一方の指揮官となるStepan P. Sooproonも参加しており、「うん、こげな戦闘機があったら、メッサーシュミットなんぞにびびる必要もないでぇ。」というコメントを残しているそうです。彼が首都防空のMiG-3部隊長に転進する5日前のことだったんだとか…。
*2)“Yakovlev's Piston-Engined Fighters”によると、機体の表面を平滑に仕上げたりすることに手間を費やしたりした結果、Yak-3の1機あたりの労力ははYak-1の2.5倍に達したとか。まぁ生産型の表面仕上げが雑で試作機よりがったり性能が落ちたなんて話はそれまで殆どお約束のように頻発していますから、まぁちゃんと学習したと言えば言えるんでしょうが…。
*3)またも“Yakovlev's Piston-Engined Fighters”によるとサラトフのPlant292製だと1挺、トビリシのPlant31製は2挺であったとか。


<キットについて>

 1990年代前半と言えば恐らくマイナー派大戦機モデラーにとっては夢のような時代で、あのハセガワからドヴォアチーヌやらラタやらがほいほいと発売されていたわけなんですが、このYak-3もその時分の遺産の一つ。コックピットがちょっとしょぼいとか、左右胴体の貼り合わせ時にプロペラを組み込まないといけないとかちょっと時代を感じるところはありますが、端正なモールドがハセガワらしい好キットだと思います。

 惜しむらくは、Yak-3単発で止まってしまったことで、ここでYak-1、7、9の主要バリエーションもまとめて出ていればもう幸福の絶頂だったんでしょうが、まぁあまり浮かれていると逆に今コンスタントに1/72双発機をリリースしてくれている優良メーカーハセガワが

この世になくなってしまっていた可能性

もありますし、仕方ないんでしょうなぁ。


<製 作>

 何を隠そう買ってきて早々に士の字にしておきながら5年以上ほったらかされていたこのキット。下手すりゃ引越しの時に燃えないゴミになる可能性もあったんですが、最近突然沸き起こったソ連機熱に浮かされて何とか完成。問題はそんなキットがまだまだ他にもあることで…。

 簡単に組める良キット(←ならなんで5年も放っておいた?)ですが、唯一面倒なのは左右胴体の貼りあわせ時にプロペラを組み込まないといけないところ。ここだけ真鍮パイプの組み合わせに置き換えてあります。エンジンカバー上面が開くので、この手のアラインメント作業がやり易いのは有難いところ。あとはシートベルトの追加、ピトー管の金属化くらいです。

 Hurricane Mk.IIdの項でも書いたように、インストの色指定はAMT-11(明るいほうのグレイ)がガルグレー(11)、AMT-12(暗いほう)がジャーマングレー(40)となっていますが、いつもの通り無視してAMT-11はミディアムシーグレイ(335)、AMT12は特色のオーシャングレイと軍艦色(32)をほぼ1:1で混ぜたもの。キットは“ロシアン・ガーズ”なる限定パッケージのもので、本来のデカールに加えてカルトグラフ製の親衛飛行隊のデカールが入ってるんですが、流石は天下のカルトグラフで長年放置していたにも係わらず白いところが真っ白のままで、キット本来のデカールの変色っぷりと比べると感動物ではありました。



ソヴィエト/ロシアの航空機インデックスに戻る
トップページに戻る