川崎 キ100 五式戦闘機 前期/後期型





<実機について>

 卓越した性能を発揮したものの、主機のハ40の信頼性、整備性に思いっきりな難のあった三式戦「飛燕」。よせばいいのにそのハ40を更に強化したハ140を搭載して性能向上を図ったII型でしたが、只でさえ当時の日本の工業力では些か荷の勝ちすぎるハ40を更に強化したハ140は更に生産現場にとどめとも言うべき負担を掛けることになり、結果、生産の遅れから、エンジンのない「首無し機体」だけが実に200機以上もずらりと並ぶと言う惨状を呈することになります。事態を重く見た(っつーか、めちゃめちゃ重いんですが)陸軍は、当時実績もあり、馬力的にも近いものを発揮できる空冷エンジンハ112IIを装備することを決定します。

 元来前面投影面積を抑えることを主眼にデザインされた飛燕の胴体に、全く形の違う空冷エンジンをつけるのは至難と思われましたが、エンジンと機体で段差を生じる部分に排気口を設けるなどの工夫により、意外にすんなりと改装出来ることとなります。世の中には

カーチスP-36のように、最初っからそんな形をしていて、後に難なく液冷エンジンに換装されてしまうような機体

もあるので、まぁそんなものなのかも知れませんが。

 そんなわけで飛行機の世界では割と珍しくないこととは言え、この絵に書いたような泥縄の中で生まれた五式戦でしたが、何が幸いしたのか予想外の高性能を発揮し、日本陸軍の実質的に最優秀戦闘機として名を残すことになります。軽量化による運動性の向上や、戦闘機動中に安心してエンジンをぶん回せることなど、いろいろな要素が効いたのでしょう。尤もそれはそれで

じゃあ、飛燕の苦労は一体なんだったのか

という気もしなくはありません。ハ40の特性を活かすところから飛燕の機体設計が生まれた面もあるので、最初から五式戦を目指して一直線の開発というわけにも行かなかったのでしょうが。

 五式戦が実戦配備された頃には既に沖縄戦が始まっており、実は海軍の紫電改以上に“間に合わなかった兵器”ではあるのでしょう。しかし、一方で生き残られた方の

五式戦に乗っとる分には、P-51も目やないでぇ

といった談話は(まぁ生き残られた方の仰ることとは言え)、やはり当時の勝ち目のない戦いの記録に接する時に、また一抹の救いになるのも確かではあります。島国根性ですかね。

 尚、飛燕II型改と同様、後期の生産分は涙滴風防型になっています。ファストバック型を甲型、涙滴風防型を乙型と呼称している文献もありますが、ウラが取れなかったのと、十干は装備品の差によるものという前提に合わない気もするので、とりあえず前/後期としておきます。


川崎 キ100 五式戦闘機
寸法諸元12.0×9.16×3.7m(W×L×H) 全備重量3,825kg
主機川崎 ハ112II型 (離昇1,500HP) 最大速度610km/h(6,000m)
初飛行昭和20年4月 最大航続距離1,600km
武装ホ5 20mm機関砲×2、ホ103 12.7mm機銃×2


<キットについて>

 ファインモールド社の五式戦は、もともとハセガワ1/72の飛燕I型丁の改造パーツとして必要な部品だけのパッケージで販売されていたものらしいのですが、1998年夏に主翼等のパーツを追加して完全版にとして発売されました。

 そんなわけで胴体などのパーツはそれなりに古いものではあるのですが、若干のヒケなどはあるものの全体に合いもよく、表面仕上げなども同社烈風のそれに近い感じで、くどさを感じる人もいるかと思いますが私的には好感が持てます。新規に入った主翼パーツなども違和感のない仕上がりで、上面の脚出し指示棒まで再現している辺り、気合が入っています。デカールはボックスアートの明野教導団のほか、調布の244戦隊、清洲の5戦隊、芦屋の59戦隊が付いています。

 また、2002年には胴体、風防等のパーツを新造した涙滴風防型のパッケージも発売になりました。主翼パーツとのフィッティングも改善されているようです。(いや、作っといて「ようです」っつーのも…。)こちらも明野教導団、清洲の5戦隊、芦屋の59戦隊が付いています

 また、同社からは三式戦/五式戦用のエッチングパーツも出ており、脚カバー、シートベルト、計器盤、五式戦の排気口などが入っています。H社の三式戦I型丁用の脚カバーもついていてちょっとお得です。と思ったらファインモールドからも三式戦(乙/丙型)が出ましたね。


<製 作>

 前期型は基本的にストレートですが、コックピットにシートベルト追加、ピトー管の金属化、主翼上面の脚出し指示棒の金属化等、若干手を加えています。あ、スピナーの始動フックも金属化していますが、殆ど判らないですね。これは報われないので後期型ではやっていません。エッチングも買ってきては見ましたが、同社の烈風と同じで計器盤はフィルム式になっていないのでとても塗装できないし、脚カバーはもとのパーツも充分薄いしであっさりお蔵入りにしていました。駄目じゃん。

 後期型も同じ様に組む筈だったんですが、脚カバーのパーツを紛失するという失態を冒し、やむなくエッチングを使いました。いざ使って見ると薄くて良いかも。マスキングテープの糊を充分殺せばマスクしての塗り分けも可能です。


<塗 粧>

 前期型は調布に展開した244戦隊機、後期型は芦屋の59戦隊機にしています。上面はグンゼの川崎系暗緑色(130)そのまま、下面も銀色(8)そのままですが、後期型のほうは丁度買ってきたアルクラッドIIの色合いが見たかったのもあって、ちょっとだけパネル毎に吹き分けて見ました。結構“らしさ”が増したような気がします。例によって日の丸、味方識別標識、外征部隊標識、フラップ等警戒線を塗装にしています。


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