三菱 キ21II 九七式重爆撃機II型

1/72 MPM


<実機について>

 九三式シリーズでそれなりに爆撃機の近代化を果たした帝国陸軍。それなりに満足したのか一度に3機種も更新して財布が空になってしまったのか、次期重爆の試作が発令されたのは正式採用から更に2年が経過した1935年になります。まぁ欧米で続々と新型爆撃機が出てくる時期でもありますから、その辺りの情勢を伺っていたのかも知れませんし、最大のライバルである帝国海軍の中攻の動向なんかも見定めていたんじゃないかという気もします。中島(キ19)、三菱(キ21)両社で競争試作がおこなわれたものの、性能などに顕著な差がないことから機体としては三菱のキ21を採用し、発動機は中島のハ5とすることで決着。更に出来てきた量産機は何故か中島案のほうに似ていたりとかして、まぁ裏で色々政治的なこともあったんじゃないかと取り沙汰される所以ではあります。

 九七式として採用されたものの実戦配備は翌38年にずれ込み、前年8月に勃発した日華事変では旧式の九三重爆は投入されるわイタリアから急遽輸入したイ式重爆は投入されるわでえらいことになりますが、38年には60戦隊を皮切りに配備が進み、後継機の充足がままならないこともあって数的には太平洋戦争末期に至るまで重爆隊の主力を務めることになります。

 40年にはエンジンをハ101に換装したII型が採用され、また後上面の銃座を12.7mmに強化して銃塔に変更したII型乙も作られます。太平洋戦争ではビルマやニューギニア方面で活動しますが、戦果の割りに損害ばかりが嵩んでいるようにみえるのもまた辛いところ。精密爆撃に向かず、といって数も揃えられず、速度も火力も半端な重爆をどう使えば良いのか、当の帝国陸軍も模索しているうちに損耗してしまった感もないではありません。最後は義烈空挺隊に見られるような自殺的攻撃しか打つ手がなくなっていくのも、またむべなるかなというところではあります。


三菱 キ21II 九七式重爆撃機II型甲
寸法諸元22.50×16.00×4.35m(W×L×H) 全備重量9,710kg
主機中島ハ101 (公称1,500HP)×2 最大速度478km/h
初飛行昭和11年12月 最大航続距離2,400km
武装7.7mm×6挺


<キットについて>

 1/72の九七重爆のキットといえばかつてはレベルから出ていたキットしかなく、長らく入手困難な時代が続いていました。MPMのキットが2000年頃に発売された当初は大喝采で迎えられたわけなんですが、いざ出回ってみると、「似てない」という声も多かったのもまた現実。一方で組みにくさに言及する声があまり聞かれなかった辺り、多くの人が

仮組段階で挫折

していたのかも知れません。似ていないといわれる所以は主として機首から前部風防にかけての辺りに集中しているので、その辺りを改修できればそれなりになんとかなるんでしょうが…。

 キットは先ずI型(箱の表記は“Mitsubishi Ki-21 Sally”)と銘打ったものが発売され、次に何処が違うのかわからないRevised Kit(というかウチには此方の版しかないので、最初の版にどんな問題があったのかがわからないわけなんですが)が発売され、最後に動力銃塔の機体が箱絵に描かれたII型版(箱の表記は“Ki-21 Sally II”)が出ました。といいつつ、キットの中身はデカールを除いて基本的に一緒のようで、背中窓タイプも動力銃塔の機体も両方作れるんですが、残念ながらナセルの形状や尾部の形状などから実質的にII型しか作れません。といいつつ水平安定板は増積されていないI型用のもの。この辺りの構成といい、風防前面が寝すぎている問題点といいどうもレベルのキットを大々的に参考にした可能性も伺えます。

 とは言え現状で流通しているキットとしては実質的に唯一のものですし、苦労してレベルのキットを入手したところでこれより良いというわけでもなさそうですから、まぁあるだけ有難いのも事実です。完成すればちゃんと九七重爆に見える(というか他の何にも見えない)し、手を入れればそれだけ良くなると思えば挑んでみる価値はあると思うんですが…。


<製 作>

 簡易インジェクションとは言えこの頃のMPMはそれなりの水準のキットを出しており、かなり楽に組める…と思っていたんですが、いきなりナセル周りが全く形にならなくて愕然。そのほかにも全体にかなり合いは悪かったりします。特に辛いのが胴体窓のクリアパーツが全く胴体と面イチにならないことで、しかもクリアパーツ側が凹んだ形になるのでパテを盛るわけにも行かず、結局胴体側を大分削りこんでいたりします。結果、胴体のラインが部分的に大きく崩れてしまい、割と悲惨なことに。迷彩だから良かったようなものの、銀無垢とかだったらこの時点で投げ出していたかも知れません。

 寝すぎと言われる操縦席風防の前面ですが、なるべく最小の労力で済ませるように前面の2枚の窓だけ切り飛ばし、プラ板でもう少し立った角度になるように自作してみました。多少それらしくはなったような気はしますが、そもそも前面が寝ている分風防の高さも足りないので、おのずから限界があります。機首上面をもう少し削りこんで高さを稼いだほうが、機首の丸みも実機に近づいて良かったかも知れません。

 主翼はイモ付けなので、例によって5mm角のプラ棒を突き刺して固定。それなりの大きさがある上に内部にレジンパーツなんかも仕込む関係で、塗装の時に主翼を持つと結構なモーメントが掛かるのを感じますから、補強しておかないと悲惨なことになりそうです。あまり接合面を弄らなくてもそれなりに上反角が決まる辺りは、この頃のMPMらしい精度が出ている気がします。水平安定板は表裏でパーツがわかれているため、増積した平面形を0.13mmのプラシートで切り出してそれを挟むように接着し、プラシートの両面にランナーパテを盛り付けていくことで増積してみました。パテ(というか単なる溶かしたランナーですが)の硬化にたっぷり時間をかけないといけないのが難ですし尾翼も若干厚ぼったくなった気もしますが、それらしくはなった気がします。

 塗装は昭和18年に浜松飛行学校にあった機体。灰緑色の上から蛇行迷彩を施し、更に上面全体に濃緑色をオーバースプレーしています。本当は応急迷彩で風防枠を灰緑色に塗り残している塗装にするつもりだったんですが、思ったより濃緑色が濃くなってしまい、風防枠だけ灰緑色にするとそこだけ浮きそうだったんで結局全面濃緑色にしてしまいました。下地の蛇行迷彩も殆ど判らなくなってしまっています。

 某H社に望む新製品として必ず声の挙がる九七重爆。これまでは正直「お前らMPMのも作らんと、何甘ったれてん。」とか思っていたりもしたのですが、MPMを手がけた今となってはH社からもっと素人に優しいキットとして発売されて欲しい気持ちで一杯です。できればちゃんとI型にもなる構成で。



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