川崎 キ45改 二式複座戦闘機 屠龍丁型
1/72 ハセガワ
<実機について>
例によって世界の趨勢に割と引き摺られやすい感のある帝国陸軍。欧米で始まった双発多座戦闘機の流行を見逃すはずもなく、昭和12年にはキ38の試作を指示、同年12月にはキ45へと発展しています。ひとまず昭和14年1月には試作機が完成しますが、性能が要求仕様に達しないばかりかナセルストールなどもあって非常に不具合の多い機体だったとか。どうも零戦や一式戦の後くらいから日本の航空界は
カウルを流線型にすることに命を懸けている
感があるんですが、結果的には性能向上よりも冷却不足やらナセルストールやらで難儀しているほうが多い気がします。
陸軍もまだ期待をかけていたと見えて、川崎では主任設計者をキ48を担当していた土井先生に交替して改修を続行。まだ欧州でBf110やらPotez63やらが馬脚を現す前だったのが幸いしたんでしょう。キ48の設計を流用するなどして大々的に改設計された機体はキ45改の呼称で採用されることになります。
何とか採用されたキ45改は早速ビルマ方面に展開しますが、初出撃で6機中3機が未帰還になる惨状を呈し、「運動性能劣悪」ということで、いきなり戦闘機としては失格の烙印を押されてしまいます。そもそも速度と火力が売りの筈の双戦をそんな運動性能に期待するような使い方をしたのが間違いじゃないかという気もしますが、42年の戦場では本機程度の性能では、双戦ならではの速度を活かして…とか、ホ3一挺で大火力を活かして…とかいうのもちょっとばかり躊躇われるのが現実。まぁこの辺りは双発多座戦闘機のお約束ではあるし、遅れてきたキ45改的には些か仕方の無い面も多いんでしょうが…。
といっても爆撃機の迎撃や地上襲撃に一定の戦果を挙げてもいたようで、些か夢見がちな方針で開発された十三試双戦とかに比べれば堅実な転身を果たしていた感もあります。役立たずの双発多座戦闘機の流れていく先は概ね万国共通ではあるんですが、なんというか開発時にあまり夢をみなかった機体ほど、転身が早いというかスムーズにいっている気はしますやな。
そんなこんなで一定の評価を得た上に、数少ないハ102が使える一線機として生産は続けられ、機首下面の37mm対戦車砲も丙型からは自動装填のホ203に換装されて機首に装備されるようになります。更に本土防空戦で活躍したこともあって20mm斜銃を装備した丁型も作られ、B-29に護衛戦闘機が随伴するようになるまでは相応に活躍しているようではあります。
川崎 キ45改 二式複座戦闘機 屠龍丁型
寸法諸元
15.02×11.00×3.70m(W×L×H)
全備重量
5,500kg
主機
三菱ハ102 (公称1,050HP)×2
最大速度
545km/h(高度3,500m)
初飛行
昭和14年7月
最大航続距離
2,000km
武装
ホ203 37mm機関砲×1(機首)、ホ5 20mm機関砲×2(斜銃)
<キットについて>
ハセガワの二式複戦は同社が1/72双発機に力を入れ始めた90年代後半のもの。同社の例に漏れず手軽に組める好キットですが、その頃のキットにしてはちょっと胴体内部の再現が簡素に過ぎる感もあり。特に素通しで見えてしまう後部風防の中身が妙に寂しいのはなんとかしたいところです。同じ年に発売された銀河と平行開発だったので、開発の手が足りなかったなんて噂もあったり。 甲、乙、丙、丁の各バリエーションが発売されている他、満州国空軍なんかも含めてデカール替えも何パターンか出ています。丁型についてはエンジン起動車とセットになったキットなんかもありました。
<製 作>
そんなわけで内部構造の強化にエデュアルドのエッチングパーツを使用。このセットは臓物の他にフラップダウンも出来るようになっている優れものではあるんですが、ナセル後端付近を切り離すのが面倒で(というか、失敗するのが怖くて)結局臓物くらいしか使いませんでした。それでも内部は相当に密度感が上がるので、割とお奨めではあります。出来の良いキットなのでさほど苦労はないのですが、甲、乙とのコンパチのために別パーツになっている機首が、胴体パーツときちんと合わないのは気になります。機首パーツの左右と胴体の左右を合わせてから接着するのではなく、左右胴体の接合前に胴体パーツと機首パーツを面イチになるように接着しておくのが得策かと。
塗装は私的に斑迷彩があんまり好きではない(し、面倒だしそもそもできるのかどうかもわからないし…)こともあって、53戦隊の濃緑色全面ベタ塗り版に。尤もこの塗装、時期を考えると茶褐色が正しいのではないかという話もあったり、ARAWASHI Magazineに載った塗装図だと上面黒(または暗緑色)、下面濃緑色なんて説も出ていたりして、良くわからなかったりもします。
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