中島 キ49II 百式重爆撃機 呑龍II型
1/72 ハセガワ
<実機について>
陸軍がキ21の後継となる次期重爆撃機の試作を発令したのは昭和12年も末のこと。その夏から始まった日華事変、中でも長距離爆撃行における損害などから思うところがあったと見えて、「戦闘機の護衛を必要としない高速重武装の爆撃機」を目標に最高速度500km/h以上、航続距離3,000km以上、20mm機関砲の搭載等の要求を盛り込んだものでした。例によって中島(キ49)、三菱(キ50)の2社に開発指示が出されますが、途中で三菱が降りたために実質中島一社が開発を受けることになります。この辺り、arawashi magazineには九七重爆を三菱が受注した代償として陸軍内部から中島に次期重爆の要求仕様が早くから漏らされており、中島が相当に設計検討を先行させていたために三菱が早々に脱落したという説を紹介してますが、実際どうだったんでしょうかね。
昭和14年夏に完成した試作機は内部の空間を利用し易い角型の胴体や、翼幅を短くして高速を狙った主翼などキ21とは外観を一新して、まぁいかにもキ21とは一味違う新世代の機体を目指してみたという感じ。しかし惜しむらくは性能のほうがあまり一新されていなかったことで、特に速度については要求値を下回る惨状。まぁ搭載武装が増えたことなどとりあえずキ21よりはマシと踏んだのか、「将来の性能向上に期待する」ということで昭和16年に制式採用となったのでした。
採用なったキ49は華北戦線に投入され、太平洋戦争開戦後はインドネシアを起点とする北部オーストラリアの空襲に従事した後、ニューギニアやフィリピン等でも活動していますが、やはりキ21なんかと同様目だった戦果もなく損耗を重ねていく印象は如何ともし難いところ。「将来の性能向上」として主機をハ109に強化したII型も開発されますが、そもそもそれでやっと公称出力がキ21II型のハ101に追いついたくらいですから、まぁ強化といっても知れたもの。44年には後継機キ67が現れたこともあって45年初頭には生産も終了しています。
そんなこんなでキ49に対する巷の評価はあまり芳しいものではなく、件のarawashi magazineの記事などでは、「Sallyの後継機として開発されたにも係わらず、取って代わることはできなかった。」とか
中島もこんな発注を受けたことを後悔していたに違いない(←意訳)
とかかなりきっついことが書かれています。とはいえ、そもそも主機の出力がキ21II型とほぼ一緒という時点で大幅な性能向上が望めないのもまた道理で、精々空力抵抗の削減分を武装と防弾に突っ込んだと思えばまぁ性能的にはそんなもんじゃないかという気もします。生産数が振るわないのも、性能のせいというよりは、そもそも重爆の運用に関する方針の揺らぎや、そんなに全力生産されているわけでもないハ41、109を二式単戦と奪いあわなければならなかったことなどが効いてるんではないかと…。とかく防御兵装や防弾を犠牲にしてカタログ上の性能を追求したと言われがちな旧軍の機体ですが、そういったところを真面目にやるとどういうことになるのか、この微妙に影の薄い機種が語っているような気もしないではありません。
中島 キ49II 百式重爆撃機 呑龍II型
寸法諸元
20.42×16.80×4.25m(W×L×H)
全備重量
10,150kg
主機
中島ハ109 (公称1,500HP)×2
最大速度
492km/h(高度5,600m)
初飛行
昭和14年8月
最大航続距離
2,400km
武装
ホ1 20mm機関砲×1、九八式7.92mm×5、爆装1,000kg
<キットについて>
ハセガワのキ49は同社がコンスタントに1/72の双発機をリリースし始めた20世紀末に出たキットでI型、II型甲、II型丙などのバリエーションが出ています。II型甲以外は未見なんですが、基本的にこの頃のハセガワスタンダードな出来。集合排気管の機体のみで単排気管の機体はそのままでは作れないのが難といえばちょっと難ではあります。
全般に組立易いキットではあるんですが、ナセル周りや機首のクリアパーツの合いがちょっと悪いのが玉に瑕。特に機首のパーツは塗装前に接着してすりあわせておくのがお奨めです。で、それにも増して大変なのがもう嫌がらせとしか思えない膨大な数の窓のマスキング。例によってエデュアルドのマスク材のお世話になっていますが、正直これが無かったら作る気にはなれないんじゃないかと…。あまり完成品を見かけることがないのも(まぁキ49そのものの不人気もさることながら…)或いはこのためなんではないかという気がします。
<製 作>
上記の通りハセガワスタンダードの組立易いキット。どこかで投売りしていたのを手に入れたエデュアルドのエッチングを今回も使っていますが、正直窓は多いものの夫々が小さすぎて内部はあんまり見えません。脚納庫扉の裏側みたいな地味なところくらいしかあまり効果がなかったような気がします。機首周りのクリアパーツだけは結構大きな段差ができるため、若干モールドが消えるのも辞さずにペーパー掛けして均し、後からコンパウンドまで使って磨いています。他のクリアパーツは一様にぴったり合うんですがねぇ…。
塗装は昭和18年に華北にいた74戦隊の機体。日本機には珍しい上面三色迷彩の機体となります。黄褐色はキットの指定ではクレオスのサンディブラウン(C19)95%+ブラウン(C7)5%、となってるんですが、元々華北の黄土にあわせた現地迷彩の筈の色としてはちょっと黄色分が少な過ぎ。黄色(C4)やニュートラルグレイ(C13)を大量に混ぜ込んだ結果作例のような色になりました。正直今となっては正確な比率など判るべくもありませんが、既に元の色の痕跡は薄く、黄色と灰色からスタートしたほうが早かったのは間違いないところです。茶褐色もキットの指定であるブラウンFS30019(C310)95%+ブラウン(C7)5%では明る過ぎ&赤過ぎな印象。此方はブラウン(C7)とニュートラルグレイ(C13)に隠し味として緑系(←もう何だったか覚えていない)を加えています。濃緑色は
もう混色する気力もなくなってきたので
クレオスの濃緑色(中島系)(C129)が基本。ただちょっと彩度を落としたかったので、グリーンFS34227(C312)を若干量加えています。まぁ試行錯誤はしましたが、一度レシピを確立すればキ10とかキ32とかこの先使うあてもあるのでまぁそれだけの成果はあったかと。そんなのをいつ作るのかは良く判りませんが…。
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