川崎 キ61-I 三式戦闘機 飛燕I型改
<実機について>
川崎航空機がドイツの誇るBf109Eの心臓DB601の製造権を獲得したのはWWIIも間近な1938年のこと。翌年に大々的にヴェールを脱ぐルフトヴァッフェの精強振りを見越していたのか、
「まぁ、せっかく同盟とかしたわけだしぃ。」
くらいのつもりだったのかは微妙ですが、ともあれ同エンジンは陸軍名称ハ40として国産化されます。1940年にはこのエンジンを使用した戦闘機の開発が陸軍から指示され、これが重戦闘機型のキ60、軽戦闘機型のキ61として結実することになりました。予想以上の性能を発揮して関係者を狂喜乱舞させた(と伝えられる)キ61は三式戦闘機として採用されますが、いざ泥沼の南方戦線に投入してみると複雑で高い工作精度を要求するエンジンの不調から、思ったように活動もままならず、苦戦を強いられることになります。
それでもキ61はフィリピンや本土防空戦でも用いられ、特に陸軍機としては早くから20mm砲を装備したこともあって対爆撃機用に一定の戦果を挙げます。また、よせばいいのに更に発動機の性能を向上する計画も練られましたが、II型のところで前述したとおりの結果に終わっています。
そもそも、補給の滞りがちな南方で稼働率が落ちるのはある意味やむを得ないところではあるし、そもそもDBのエンジン自体が無体に複雑だったり高精度を要求したりするものでもあるんですが、それでも
あ〜、ドイツ人の作るものはこれやから
とならずに、日本の基礎工業力が云々という話になってしまうのにも些か不憫を感じなくはありません。というか正直
所詮、当時の日本は欧米列強よりは一段劣った技術力で…
とかいう話の枕に活用されているだけのような気もします。まぁその辺りが帝国陸軍の人徳というものなんでしょうが。
想像を逞しくすれば、本来「じゃ、本道のほかに保険がてら川崎でもなんか作らせとくとええんちゃう?」といった程度の話だったのが、「あそこドイツのエンジンライセンスしてたやん。ウチでもあれ使えたらええのができるんちゃうかなぁ。」「せや。ドイツ空軍めっちゃ羽振りええしなぁ。」みたいな感じに欲がでて、更に試作機の予測以上の高速、キ44の迷走といった事態のなかで思わず当初の予定以上に盛り上がってしまったり、それが実戦で思ったように働いてくれないので逆ギレしたりしているだけなんではないかというようにも思えます。日本機全般に言えることではあるんですが、本人は淡々とそれなりの機体としてそれなりに働いている横で、周囲が(同時代、後世を問わず)勝手に盛り上がったり盛り下がったりして、持ち上げたりこき下ろしたりしているだけのような気もするのです。部外者が何かを評価するなんていうのはそもそもそーゆーものなのかも知れません。
川崎 キ61-I丙 三式戦闘機 飛燕I型丙
寸法諸元
12.0×8.64×3.7m(W×L×H)
全備重量
3,470kg
主機
川崎 ハ40 (離昇1,100HP)
最大速度
580km/h(alt.5,000m)
初飛行
昭和16年12月(I型)
最大航続距離
1,800km
武装
ホ103 12.7mm機銃×2、マウザー20mm機関砲×2
<キットについて>
ファインモールド社の飛燕I型は、五式戦、飛燕II型に続いて2003年に発売されました。I型のキットはこれまでハセガワの丁型しかなかったのの穴を埋める形で乙型、丙型の二種類が発売になっています。といっても基本は同じキットで丁型には挽物の20mm機関砲身が、乙型にはその代わりに迷彩デカールが付くというものでした。その後限定バージョンで244戦隊仕様のものが発売になっており、これは挽物機関砲身も迷彩デカールも入っていてちょっとお得な内容になっています。
ハセガワの丁型を見慣れた目で見ると翼の上反角や機首下面の平べったさに一瞬たじろぎますが、上反角はそもそもハセガワの丁型が上反角不足だったので此方が正解のよう。機首下面は両側が角張りすぎているのをちょっと丸めてやると良いかも知れません。
<製 作>
…とか言いながら、結局はコックピットのシートベルトとピトー管の金属化以外はストレート製作です。作例の機体は例えばLifelike社のデカールなんかでは上面全部が濃緑色なんですが、写真を見るとラダーの色がやけに明るく、恐らくは部隊マーク以上に明度が高いように見えたのでちょっと冒険。部隊マークはアルプスプリンタで作っていますが、キットには赤と白の部隊マークが両方入っているので、組み合わせて使っても良かったかも。
日本陸軍機インデックスに戻る
トップページに戻る