マスタング開発史・戦後編

 1945年に究極系とも言うべきH型が開発され、同年8月には長く続いた第二次世界大戦も終結。更にジェット機の開発もあってレシプロ戦闘機の退役は急速に進みます。しかし、マスタングの開発はまだ終わったわけではありませんでした。


1.トランス・フロリダ社のキャヴァリエ

 レシプロ戦闘機が対地攻撃機として活躍した朝鮮戦争も終わり、1950年代末にはマスタングの退役も急速に進みます。そんな頃、デヴィッド・B・リンゼイJr.という人物がTrans-Florida Aviationという会社を興し、退役したマスタングを再生して複座のビジネス機として売り出します。名前は“キャヴァリエ”、航続距離に応じて"Cavalier 750"、"1200"、"1500"、"2000"、2500"というように名前が付いていました。ガンベイの収納ボックスに「ゴルフバッグも積めますぜ、社長。」が売りだったとか。

 TFA社のキャヴァリエ各型と本家P-51で外見上の違いは殆どないのですが、唯一"2000"と"2500"の2種は110USガロン入りの固定*1)チップタンクを翼端に装備していました。写真を見ると、後部風防を拡張している機体もあるようで、戦時にテムコ社で作られた複座型のTF-51Dの一部で行われた後部風防の拡張と同じものかもしれません。尤も特に行われていないように見える写真もあり、注文仕様であった可能性もあります。いずれにしても前席の防弾板およびヘッドレストは取り払われているようです。防弾板はともかくヘッドレストがないとちょっと疲れそうだけど、まぁ後席のほうが偉いさんで前席はしがないお抱え運転手なんだろうから仕方ないか…。

*1)“世傑”によれば96ガロン入り着脱式


2. キャヴァリエ社のマスタング

 マスタングを改造したキャヴァリエの売れ行きに気を良くしたか、トランス・フロリダ社は1962年*1)にキャヴァリエ社と改名。事態を若干ややこしくしてしまいます。というか、それまで作っていた(飛行機のほうの)キャヴァリエはどう呼んでいたのでしょう。キャヴァリエ・キャヴァリエ?まぁブラックバーン・ブラックバーンという例もありますが…。

 そんなキャヴァリエ社に美味しい発注が来たのは1967年のこと。折からのMilitaly Assistance Program (MAP)の一環として、20機ほどのマスタングを発展途上国用の軽対地攻撃機に仕立てて輸出する仕事が舞い込んだのです。とりあえづ“世傑”の表記に従ってTF-51Dとしておきますが、文献によってはこれをCavalier Mustangと呼んでいたり、後述のCavalier Mustang IIに含めていたりと色々です。この機体、エンジンはオリジナルと同じパッカードV-1610-7ですが、主翼端にTFA Cavalier 2000や2500と同様のチップタンクを装備し、主翼下の8ヶ所ずつのハードポイントに4,000lbまでの武装を懸下することが出来ました。また、操縦席の後ろに後席を設けて複座化したほか、垂直尾翼もH型の大型のものになっています。

 この機体はアメリカのMAPプロジェクトの一環としてエルサルバドルに6機、ボリビアに9機が供与された他、アメリカ軍も3機ほど買ってくれました。一説によるとドミニカ空軍のF-51Dも何機かが改造されたとか。

 これで図に乗ったキャヴァリエ社は本格的なCOIN機バージョンを開発。今度は社名がキャヴァリエなので名前はMustang IIとしました。…ということにしてみましたが、実は文献によっては最初のパッカード・マーリンV-1650-7のものもCavalier Mustang IIとして扱っており、現存するマスタングを集めたサイトでも経歴として「エルサルバドル空軍のCavalier Mustang II」なんていう記述が随所に見られます。それはさておき、マーリン620を装備した試作機はキャヴァリエ社の倉庫にレストアされていたP-51D-5NA、シリアル44-13257を改造して作られました…が残念なことにどこの軍隊からも引き合いは来なかったのでした。

 それでも初期のCOIN型が売れたのに気をよくしたのが続いていたのか、はたまたMustang IIが売れなくて泥沼にはまったか、キャヴァリエ社は1968年にはターボプロップエンジン装備のCavalier Mustang IIIを開発しました。主機のロールスロイスのダート510ターボプロップエンジンはヴィッカース・バイカウントに使われていたもの。これを実際にバイカウントからカウリングごと持って来てマスタングの機首にポン付けするという世にも大胆なものであったとか。しかしと言うかそれ故と言うか、これもまたどこからも引き合いがなく、とうとうキャヴァリエ社は1970年11月にキャヴァリエ・マスタングに関する権利・技術等を手放した後、1971年に敢えなく解散してしまうのでした。*2)

*1)因みに、世傑では1967年に改名したことになっています。このあたり結構いい加減に扱われているようで、色々な資料でどちらの説を採っても矛盾する記述があったりするわけで、こちらも半ば諦めて適当に書いていたりはします。どこかにTFA/キャヴァリエ社社史とかデイヴィッド・リンゼイJr.一代記とか、そんな感じでまとまったテキストがあれば良いのですが。
*2)…と世傑にも書いてあるんですが、少なくともS/N72-xxxxxを持つインドネシア向けの機体はキャヴァリエ社が担当しているわけで、この辺り正確なところはもう少し調べる必要があると思っています。まぁインドネシアに輸出するプロペラ機にS/Nを振るなんてのは2年くらい忘れられていてもおかしくないのかもしれませんが…。


3. パイパー社のエンフォーサー

 で、よせばいいのにその権利を買い取ったのが小型航空機に定評のあるパイパー社。ここでこねくり回された挙句に合衆国空軍に提案されたエンフォーサーは2,455HPのライカミングT55-L-9ターボプロップでADスカイレーダーのプロペラを回すというもの。やはり翼端に大型のチップタンクを備え、翼下に8箇所のハードポイントを持っておりました。

 最初の機体は複座型で1971年4月に初飛行。と言うことは故郷キャヴァリエ社で相当に製作が進んでいたか、ないしはよっぽど安易な改造をやったんでしょう。お約束のようにどこからも引き合いはなく、試作機も数週間後には事故で失われてしまいました。

 それでも諦めなかったのか、はたまた公募があったので手持ちのネタで適当に応募してみただけなのか、雌伏10年(!)を経た1981年には再び、今度は単座の試作機2機が製作され、1983年には合衆国空軍の手でテストが行われました。もうこの頃にはオリジナルのマスタングの部品は10%程度(点数比だか重量比だか判りませんが…)だったとか。そして、例によってどこからも愛の手は差し伸べられなかったのでした。


4. 悍馬達のその後

 南米に行った機体は現地で大過なく任務を果たし、退役後は結構な数がアメリカに戻ってきて個人所有となっています。エルサルバドルに行った6機のうち、1機は2個イチで失われ、2機が現地で退役、3機がアメリカに戻ってきています。ボリビアの機体は追いきれていませんが、これも何機はアメリカに戻ってきている筈。インドネシア機なんかはアメリカ人によって“recover”されて帰米したりしてるあたり、それまでどうなっていたのやら…。事故で失われなかったエンフォーサーの試作機がどうなったのかはよく判りませんがマスタングIIの試作機はエンフォーサー開発時にチェイサーとして使われたりした後、個人所有となって現存しています。一時期所有していたLinsey Newspaper Inc.とデヴィッド・B・リンゼイJr.の関係があるのなら是非知りたいのですが…。

 結局のところ、戦後に開発されたマスタングのバリエーションで、それなりに成功したのは初期のビジネス機と、MAPという追い風を受けた小改造機だけでした。私見ですが、1960年代以降にCOIN機を設計するなら、20年前の戦闘機にあれやこれやと改造を加えるくらいなら新規に設計したほうがよっぽど手軽に良いものができた筈で、パイパー社にしたって出来合いの設計がなければ恐らくそうしたことでしょう。その意味では一連の開発史は自前の飛行機の作れないキャヴァリエ社の背伸びと、パイパー社の安物買いの銭失いの記録に過ぎないのではないかとも思います。ただ、翻って本邦の状況を見ると、そーゆーことをやらかすベンチャーがいて、終わったはずの飛行機の歴史をなおも紡ぎ続けていくアメリカという国にちょっと羨ましさを感じずにはいられません。


【付録1】歯抜けだらけの諸元比較

NA P-51DCavalier
Mustang II
Cavalier
Mustang III
Piper
Enforcer
全幅[m]11.2911.29 11.2912.6
全長[m]9.849.84 10.410.4
全高[m]3.714.17 4.174.0
主機Packerd
V-1650-7
Rolls Roys
Marlin620
1,720HP
Rolls Roys
Dart510
1,740HP
Lycoming
T55-L-9
2,445HP
最大速度[km/h]703 650
航続距離[km]3,700 1,480
搭載量[lb]4,000 5,8005,500
全備重量[kg]4,585 6,3506,350
初飛行1943.11.171967.12 1971.04.19


【付録2】TFA/キャヴァリエ社のお仕事

 
S/N形式お仕事概要その後
44-12852 1954よりドミニカ空軍FAD1900(#2)であったのを1965年にキャヴァリエ社が改造。 その後1984年までFAD1900として使用。帰米し現存
44-13257Cavalier Mustang II 1959にTFA社が購入。レストアされていたものを1967年にMustang IIの試作機に改造 1971までテスト等に使われたのち、民間に払い下げ、現存
44-63663TFA Cavalier? 1958にTFA社が購入。1962年にグアテマラに売却。FAG354 1972年帰米、現存
44-73260Cavalier F-51D? 1969にキャヴァリエ社が購入。1970年よりインドネシア空軍F360 1975年ジャワ島で損傷。79年に再生、現存
44-73454TFA Cavalier? 1967年損傷後、キャヴァリエ社で改造 1972年より個人オーナーが所有、現存
44-73543Cavalier F-51D? 1968年キャヴァリエ社が購入。インドネシア空軍に売却 1978年帰米、現存
44-74469TFA Cavalier 1958年キャヴァリエ社が改造 1960年よりドミニカ空軍FAD1919。84年帰米、現存
44-74469Cavalier F-51D? 196?年キャヴァリエ社が改造。インドネシア空軍F351となる 81年帰米、現存
44-74469Cavalier F-51D? 1963年キャヴァリエ社が購入。68年よりインドネシア空軍F361となる 79年帰米、War Eagles Air Museumに現存
?Cavalier F-51D 1968年キャヴァリエ社が改造。69年よりエルサルバドル空軍FAS401となる 74年帰米、現存
67-14866Cavalier TF-51D 1967年キャヴァリエ社が改造。68年よりボリビア空軍FAB521となる 77年帰米、現存
67-22579Cavalier TF-51D 1967年キャヴァリエ社で製造。ボリビア空軍FAB519となる 77年帰米、現存
67-22580Cavalier F-51D 1967年キャヴァリエ社が改造。68年よりボリビア空軍FAB520となる 77年帰米、現存
67-22581Cavalier F-51D 1968年キャヴァリエ社で製造。ボリビア空軍FAB523となる 77年帰米、現存
68-15795Cavalier F-51D 1967年キャヴァリエ社が改造。合衆国陸軍に納入 76年よりRAF Museumでレストア。80年帰米、現存
44-72922 1967年より84年までフロリダ州のデイヴィッド・リンゼイが所有。別人かも。 91年に損傷。TF-51として再生、現存
44-73027 1959年にTFA社が所有。改造したかは不明 1998年に事故により喪失



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