オランダ空母“カレル・ドールマン”の搭載機



 第二次世界大戦の終結後、オランダ海軍は英国から取得した2隻の航空母艦を運用しました。以下はあまり活躍しなかった(でも日米英仏以外の空母の中では比較的働いた部類に属する)2隻の空母とその搭載機の変遷を追ってみました。

1.Karel Doorman略歴

HrMS Karel Doorman (I)

 元は英国のヴィンデックス級護衛空母ナイラナ (HMS Nairana) でしたが、1946年5月にオランダに引き渡され、同海軍の初代空母カレル・ドールマン (Karel Doorman) となりました。艦名は1941年末からオランダ・インド艦隊司令官を勤め、翌年2月27日には4ヶ国連合艦隊司令官としてスラバヤ沖海戦を戦い、旗艦デ・ロイテルと運命を供にした海軍少将Karel W. F. M. Doormanに因んでいます。

 このナイラナ、1945年の短い期間ではありますが、亡命オランダ人航空隊であるFAA 860sq.を搭載しており、なにやら因縁があったのかもしれません。2代目カレル・ドールマンの取得に伴って1948年3月には英国に返還されますが、その短い期間の中でも実際に航空機を搭載していた期間は更に短く、海軍戦力の一翼を担ったというよりは多分に2代目の取得に先立つテストケース的な運用に終始したのでしょう。


HrMS Karel Doorman (II)

 となれば、此方が大本命ということになる2代目。1945年1月に竣工した英国海軍のコロッサス (Colossus) 級軽空母ヴェネラブルを購入したものです。1948年に4月に購入し、翌5月には再就役。以後唯一の空母として20年に渡って同海軍に留まることになります。

 1955年から58年にかけて近代化改装を受け、アングルドデッキや蒸気カタパルトの増備が行われます。ちょっと話が先走りますが、アルゼンチン海軍は同じコロッサス級のインディペンデンシアの後釜に彼女を購入しているわけで、ここで近代化改装を受けたのが彼女の延命に大きく寄与していると思われます。また、このとき増備されたカタパルトがえらく良いものであったようで、アルゼンチン海軍は彼女の購入以降にA-4スカイホークの艦上運用を開始していますし、後にブラジル海軍も退役後の彼女から取っ払ったカタパルトを移設して、初めて同海軍の空母ミナス・ジェライス(これまたコロッサス級ですが)上でA-4を運用できるようになったという話もあります。

 1968年に火災により船体を損傷。実質的に活動を停止したまま同年10月にはアルゼンチンへの売却が決まります。南米へ渡った彼女はヴェインテシンコ・デ・マヨ (Veintecinco de Mayo) と名を変え、更に波乱の人生(その中で一番の波乱の時には港に篭っていたとかいう話はさておき)を歩み続けることになります。


2. Karel Doorman搭載航空隊とその装備

 そんなわけで、本題のKarel Doormanに搭載された航空隊は以下の5隊です。因みに各航空隊とも所属基地としてHrMS Karel Doormanの他に陸上のValkenburgが併記されており、両方で運用されていたことが伺えます。

1 squadron
 Fighter Pilots Combat Schoolから1949年2月に独立。装備がファイアフライF.Iでした。2代目Karel Doormanに便乗してオランダ領アンティル諸島のHato基地まで輸送され、到着した1952.01.25付けでHatoの所属に切り替わっています。Karel Doorman所属となった時期は不明なのですが、1951.10.15に2sq.がValkenburg所属に戻っていることや、1951〜52にかけて860sq.が英海軍のイラストリアス、インドミタブルに便乗しているのと対応するのかもしれません。尤もこの海上輸送の期間だけの所属であった可能性もあります。

年 代使用機材備 考
?-1952.01.25Firefly F.I


2 squadron
 1949年10月にファイアフライIV装備で開隊。2代目Karel Doormanに搭載されます。1954年半ばにTBMに機材を交換。以降は対潜警戒任務に就くことになります。1959年に一旦解隊されますが、1962年10月には320sq.をそのまま持ってくる形で復活、現在に至っています。(320sq.自体はP2V装備の部隊としてその後も存続しています。)

年 代使用機材備 考
1950-1951Firefly FR.IV
1954-1955Firefly FR.IV, TBM Avenger1954年中期に機種交換
1958TBM Avenger
1963 - 1969S-2A Tracker


4 squadron
 1948年2月にファイアフライIV装備で開隊し、2代目Karel Doormanの最初の所属航空隊となりました。以来、1969年の退役に至るまで2代目Karel Doormanの所属であり続け、以降は陸上基地航空隊となりますが1971年には解隊されています。2sq.同様1954年半ばにTBMに機材を交換した後は対潜警戒任務が主となります。
 他の部隊は搭載時期別にまとめてみましたが、この部隊だけは在籍全期を通じてKarel Doorman所属になっているため、機種別にまとめてみました。

年 代使用機材備 考
1948.07-1954Firefly FR.IV1954年中期にTBMに機種交換
1954-1960.09TBM Avenger
1960.09-1969S-2A Tracker


860 squadron
 860sq.は1943年にFAA指揮下の航空隊として開隊しました。番号が跳んでいるのもFAAの番号を引き継いでいるためです。当初はSwordfishを装備する航空隊で、1945年10月30日から11月15日までの短い期間ではありますが後に初代Karel DoormanとなるHMS Nairanaにも搭載されています。1946年5月よりファイアフライIに装備変更し、1946年9月にはオランダ海軍の指揮下に戻って初代Karel Doormanの搭載航空隊となりました。(下に見る通り、書類上は7月からKarel Doorman所属となっていたものと思われます。)しかし、インドネシアの独立戦争に伴って860sq.がジャワの陸上基地に展開したため、空母への搭載は短期間に留まっています。
 1950年3月18日に一旦解隊されますが、同年7月15日には2代目Karel Doormanに搭載するシーフューリー航空隊として復活。1956年6月に機材を3sq.に渡して解隊します。
 1957年9月には22機のシーホークを装備する航空隊として復活しますが1964年に解隊。1966年10月の復活以降は主としてヘリコプターを装備したASW部隊として活動します。

年 代使用機材備 考
1946.07.27-1946.10Firefly F.I初代Karel Doorman搭載
1950.07.15-1956.06.15Sea Fury FB.501951-1952に一部を朝鮮戦争に分遣
1957.09.18-1964.10.30Sea Hawk FGA.50


861 squadron
 861スコードロンは1946年にFAA指揮下の航空隊として開隊しました。10機のファイアフライIを装備し、1947年2月末の短期間初代Karel Doormanに所属していました。しかしその月のうちに空母から降ろされ、程なく部隊も解隊されてしまいます。860sq.の穴埋めとして英軍の余剰機材を貰ってきたが、初代の退役に伴って不要になったということなんではないかと推測していますが、確証はありません。

年 代使用機材備 考
1947.02.22-1947.02末Firefly F.I初代Karel Doorman搭載



以上、各航空隊の搭載機の変遷を、2代目Karel Doorman搭載分だけに限って見てみると、以下のようになります。

3.総 括

 以上、雑駁に搭載機の機種だけを追ってみましたが、オランダ海軍の母艦航空隊は当初Fireflyを搭載する戦闘攻撃航空隊としてスタートし、以後は戦闘航空隊の860sq.とTBM(恐らく-3Rと-3Wからなるハンター・キラーグループ)を搭載する対潜航空隊へ分化、最後にはS-2搭載の対潜部隊に特化していく傾向は読み取れるのではないかと思います。このあたりを北海における赤軍潜水艦隊の増強と照合してみると、また面白い傾向が読み取れるのではないかと思っています。また、専属のヘリコプター部隊を持たないのも小国の軽空母としては珍しい傾向かもしれません。

 主力航空機の大型化、陸上から運用する対潜哨戒機の航続距離の延伸、そしてNATOという枠組みの中で持ち場を分担していく過程で、オランダ海軍が一隻の軽空母を保有することの意義がどれほどのものであったかは何とも言えません。ただ、Show the Flagという海軍の役割からするとその意味するところは大であったでしょうし、また母艦航空隊という一朝一夕には作れない特殊技能集団を維持し、有事の際に供出さえする母体として機能していることを考えれば、やはりその意義はあったと言うべきでしょう。それが20年にわたって同艦がオランダ海軍旗を掲げ続けた理由なのだと思います。


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