ルーマニア空軍のHe111の塗装

 開戦から1942年のスターリングラードでの大打撃まで、ルーマニア空軍爆撃隊の主力を担ったHe111。しかし、その塗粧についてはどういうわけか諸説紛々だったりするのでした。ルーマニアにやってきたHe111の遍歴については別項に譲るとして、ここではその塗粧に限定して述べてみたいと思います。

1.資料

 …といってもルーマニア空軍の、それも爆撃隊の資料など殆どあるわけもなく、まとまった資料はSquadron/Signal Publicationsの“Rumanian Air Force, the prime decade 1938-1947”(以下S/S本)くらいなもので、オンラインで最もよくまとまっているWorldWar2.roもHe111に関する記述は(写真も)殆どここから引っ張ってきています。また、同じくS/S社の“Heinkel 111 in Action”(以下In Action本)には、カラー側面図が一枚だけ掲載されています。あと、A-J Press社のAircraft Monographシリーズ(以下A-J本)には青の20番の両側面図が載っています。

 でまぁ仕方ないんで別売デカールのインストなんかも参考にするわけなんですが、これまた以下で述べるように諸説あり。とりあえづルーマニアのHe111が収録されているセットはこんなものです。

スケールメーカータイトル収録機
1/48Aeromaster DecalsAMD48142 Heinkel He 111 Collection Pt 2青の20
1/72AviprintAV72007 Heinkel He 111 Pt 2 Foreign Service 白の5、白の24
BegemotBT7208 Heinkel He 111H 白の5、白の30


とまぁ、こんな頼りない状況で考察を語るのも何かとは思いますが、まぁそれはそれ…。


 2. 三色スプリッタ迷彩説

 ルーマニア空軍のHe111の塗装として良く言われるのが、1938年までルフトヴァッフェの爆撃機に採用されていたRLM61、62、63スプリッタ迷彩(以下61/62/63スプリッタ迷彩)であったとするものです。In actionに掲載されている側面図はこれに準拠しており、図の説明にもその旨明記されています。またS/S本でも幾つかの写真の解説で61/62/63スプリッタ迷彩であることが明記されています。Begemotデカールに収録されている白の5番も、まんま61/62/63スプリッタ迷彩のパターンに塗装指定がされています。

 しかし、実際のところいずれの資料にも61/62/63スプリッタ迷彩と明らかに認められる写真は見られず、キャプションのついているS/S本の写真は、いずれも上面三色迷彩ではあるものの明らかに塗りわけパターンが異なっています。同書に一枚だけ収録されたカラー写真によると、この上面三色迷彩は確かに灰色、緑、明度の低い茶色の迷彩である可能性が高く、この迷彩と、ルーマニアに行ったH-3は初期のH-1からの改造である(従って製造時期が比較的早い)という話から61/62/63スプリッタ迷彩説が出てきたのではないでしょうか。

 因みにH-1といっても、ドイツ空軍は1939年1月のH-0の初飛行に先立って1938年秋にはRLM70、71迷彩への切り替えを発令していますから、これによって61/62/63スプリッタ迷彩の機体がルーマニアにやってきた可能性も少ないと思われます。世傑には61/62/63スプリッタ迷彩と解説のあるP-1が載っているので、切り替えにタイムラグがあった可能性はありますが、H型で61/62/63スプリッタ迷彩という例はちょっと見たことがないように思います。


3. 開戦時の塗装

 では、実際にS/S本に載っているHe111の写真を見てみると、同書には、

#掲載ページ個体番号備考
16He111H-3 白の5番1941年6月
250He111H-3 白の1番+手前にもう一機1941年5月
353He111H-3 白の32番
454He111H-3 白の13番冬季迷彩
559He111H-6 白の48番
661He111H-6 白の50番+奥にもう一機国籍標識はラウンデル
7巻末He111H-3 白の5番カラー


と7枚の写真が掲載されています。このうち#1、2、3、7が先に述べた同じパターンの上面三色の迷彩で、1〜32しかない機番の頭と尻を押さえていることから、これが開戦時点でのHe111の標準塗装だったと考えてよいのではないかと思います。

 問題はこのそれぞれの色が具体的に何なのかということになります。#7のキャプションではRLM61、62、63と明記されており、実際の写真も濃いほうからダークブラウン、ダークグリーン、グレイにみえます。但し尤も暗い色はブラウン系と断じるには不明瞭で、先入観を排して見ればむしろグリーン系と見るべきかも知れません。#4のキャプションでも「ドイツのpre-war coumfrage」と明記されています。色調についてはRLM61、62、63で特に矛盾が生じるところはなさそうですが、上記の通り、戦前の61/62/63スプリッタ迷彩がそのまま導入された可能性も低い以上、どうしてそんな色になったのかという説明が今ひとつはっきりしません。近い色調の迷彩があったために61/62/63スプリッタ迷彩という誤解がうまれ、それが色調についてもRLM61、62、63という説を引き出したという可能性も考慮する必要があると思います。

 一方、AVIprintのデカールに収録されている白の5番の塗装図は最も暗い色をグリーン系と解釈しており、RLM70、71+RLM63を指定しています。He111H-3がルーマニアに来た時点では標準のRLM70、71迷彩であった可能性が高いことを思えばこれはこれでありそうな気がします。但し、70、71の塗り分けラインが標準のパターンと一致いるわけではないので、標準のRLM70、71迷彩にRLM63を上掛けしたというわけではなさそう。そうなると全面塗り替えならば70、71に固執する必要もないわけで、やっぱり説得力が低い気もしてきます。因みにこのデカール、主翼端をRLM61と指定していますが、これは恐らく#3の写真で黄色が暗く写っているところからの誤解でしょう。

 もう一つ考えられる可能性として、ARRの制式塗装ベースという考え方があります。S/S本によると、ARRの制式塗装は、

 ・上面オリーブグリーン、下面ライトブルーグレーの制式塗装が1940年6月に導入された。 
 ・1941年の初めからI.A.R.のBrasovで新規生産された、または海外から新たに購入した機体は、オリーブグリーンの上からアースブラウンによる迷彩を施すようになった。 
 ・時にはアースブラウンの代わりにダークグリーンの迷彩を施すこともあった。 
 ・イギリス、ポーランドからの機体は、最初のO/Hで再塗装されるまではオリジナルの塗装のまま用いられた。 

となっています。ARRのHe111は1940年1月にまとまって来着していますから、この適用を受けてダークグリーンまたはアースブラウン+オリーブグリーンとなるところに更にグレイを加えたのではないかということです。特に最終項に注目すると英、波以外からの導入機は積極的に新塗装が適用されていることが伺えますから、He111に適用されていなければむしろおかしいとも考えられます。尤もこの説についても、何故1940年中から在籍しているHe111が迷彩になっているのか(2項に矛盾する)とか、じゃあなんで3色なのかとか色々と突っ込みどころがあったりします。そもそも上記の制式迷彩が適用されていない機体の大戦中の写真も結構ありますし。

 それはさておき、この場合の具体的な色なんですが、降下猟兵さんから教わったところによるとI.A.R.とチェコのAVIA、 AEROはイタリアのFIATと共に迷彩色を統一していたということですので、オリーブグリーンはまんまイタリア空軍のオリーブグリーン(ひいてはRLM80の近似)ということで行けるんではないかと思います。グレイについてはさっぱり分かりませんが、He112の一部にグレイ塗装のまま戦争に突入している機体があること、このグレイは購入時に塗られていたRLM63ではないかと思われることなどからすると、ARRがRLM63近似の塗料を持ち、迷彩色としても使えると判断していたという推論が成り立つのではないでしょうか。

 ダークグリーンorアースブラウンと思われる尤も暗い色ですが、実はIAR.80などのモノクロ写真で見るとARR機で良く用いられるアースブラウンはオリーブグリーンよりも明度の高い可能性が高く、ブラウン系だとするとマルーン等のこの機体独特の色と考えられます、上記イタリアとの関係からイタリア空軍色のマルーンが考えられますが、何故He111に限ってこの色を使用したのかという説明はつきません。ダークグリーンについては確証がないのですが、戦争中の上面緑一色のARR機の塗装がしばしばRLM71と解説されていたりするところから、とりあえずその近似色くらいのイメージが考えられます。論理的な可能性としてはこれが一番高そうですが、RLM80近似のオリーブグリーンとRLM71近似のダークグリーンとで写真で見られるような明度差が出るのかも疑問です。結局、既に作った模型では模型映えを考えてオリーブグリーンと明度差の出るマルーンに流れたわけなんですが…。


4.細部の塗装

 S/S本の写真#1、3からは主翼端の黄色塗装が上面にも施されていること、主翼半ばほどにある黄色の細線が、一度施されてから暗色で塗りつぶされていることが見て取れます。(#3では黄色が暗く写るフィルムのため、黄色がそのまま残っているのか暗色で塗り潰されているのか確定はできませんが…。)

 #3のキャプションによるとエンジンカウルも黄色とのことですが、上記の通り黄色が暗く写るフィルムのため、黄色なのか他の暗色なのか判然としません。#2や#7の写真では明らかに黄色ではないため、可能性は低いのではないかと思いますが、但し、カウル上面の暗色が機体部分の色と繋がっていないことから、一度黄色に塗って暗色で塗り潰した可能性も否定できません。

 スピナーについては#2の手前の機体が約1/4を白く塗ったほかはプロペラと同色(つまり恐らくRLM70)であり、#7でも暗色の下のほうに白っぽい部分が細く見えていることから同様と思われます。逆にあまりカラフルに塗っていることを匂わせるような写真はなく、基本的には規定が厳密に適用されていたのではないかと思われます。


5.大戦中のリペイント?

 一方、A-J本に載っている青の20番の側面図は1942年暮の塗装とのことで、ダークブラウン、ダークグリーン、サンドイエローの三色迷彩で、尾翼の機体番号の他に胴体の黄帯にオーバーラップして赤の1の文字が描かれています。また、機体側面には出撃マークと思しき黄色の斜線が無数に入っています。というか、実は私、そのページの複写を見ただけでA-J本そのものは持っていないんで、どんな写真を根拠にしているのかわからないところが辛いところなんですが…。

 Aeromaster Decalに収録されている青の20番も基本的に同様ですが、此方はA-J本でグリーン/ダークブラウンとされている部分が全てRLM70、サンドイエローの部分はRLM79が指定されています。他に胴体帯に書かれた番号が青、スピナーの赤の部分が後半分のみ等の細かい差異もあります。

 前項で述べた迷彩が確認できる写真は今のところ1941年中と思われるのものしかなく(#3の写真は主翼の黄線を塗り消した跡が残っていることから、開戦後一度も塗装を塗り替えていない時点での写真であり、恐らく1941年中のものではないかと推察されます。)1942年戦役の開始前にこのようにリペイントされている可能性もは無くはありません。但し、色は違うものの両者の塗りわけパターンはほぼ一致しており、上記迷彩パターンの白黒写真に適当に色を当てはめた結果である可能性も否定できないものがあります。

 もうひとつ疑問なのは胴体帯にオーバーラップした1の文字で、この時期のHe111H-3は第5爆撃航空群の79または80飛行隊の所属ですから1という数字の出てきた根拠がよく分かりません。確かに第5爆撃航空群の上位に第1爆撃航空艦隊という組織はあるのですが、なぜそれだけすっ飛ばして航空艦隊の番号を書いているのかは疑問ですし、この時期ARRのHe111は(H-6も含めて)全て第5爆撃航空群(ひいては第1爆撃航空艦隊)に属していますから、殊更に航空艦隊の番号を書かずとも特に不便があるとは思えないのですが…。


6.その他の機体

 蛇足ながらHe111の他のタイプについて触れておくと、H-6については上記#5の写真からみると普通のRLM70、71迷彩のようです。#6のキャプションでは上面はルーマニアのグリーン(多分オリーブグリーン)単色とされており、確かに塗り分けラインも見当たりませんから、恐らく最初のO/Hだか、国籍標識を書き換えるついでだかに塗り直したのでしょう。寝返る時の国籍標識の書き換えは相当にドタバタだったようですから、全体のリペイントはそれ以前、恐らく1942/43年の冬に冬季迷彩でも施した後なんじゃないかと私的には想像しています。

 1944年8月に少数が導入されたE-3型については、実はよく分かりません。導入時期が連合側に寝返る直前だったため、残っている写真はラウンデルをつけた状態で、翼端と胴体帯も白の状態となっています。S/S本に載っている80番の側面図では上面はオリーブグリーン単色のようですが、同書に写真が載っている77番では不鮮明ながら塗り分けパターンのようなものが見える気もします。


7. まとめ…或いはノーム・ローンとの訣別

 そんなわけで、長々と述べてきたわけなんですが、敢えて一言で言えば

よく分かりません。

 まぁ5項の迷彩のほうが古くから人口に膾炙しているようではありますが、写真の裏付けという意味では3項の迷彩のほうが安全ではありますね。というか、5項の迷彩の根拠になっている写真が見られればもう少し進展するんですが…。色はRLM61、62、63でもRLM70、71、63でもRLM71、80、63でも好みで良いんではないかと思います。正直、突っ込みをくれる方がいらっしゃるとも思えませんし…。

 ただ、1940年に導入したHe111が一年以内に全面リペイントされ、それも他のARR機とは一味違った色も使われていたということはほぼ確実に言えるのではないかと思います。この辺りにルーマニア人がHe111に掛けた並々ならぬ期待が伺えるのではないでしょうか。ARRは戦闘機のPZL.24、軽爆撃機のPotez.633、重爆撃機のS.79Bと装備機体のエンジンをノーム・ローン14系に統一しようとする気配が見えるのに対し、1940年以降はHe111、He112の導入、S.79Bのエンジンをユモ211に変更、更にはIAR.80もユモ211版を試作(←donjiさん情報)するなど、主力エンジンをユモにシフトしようとしている気配が見られます。He111の新塗装にはそんな再出発(←大袈裟)の思いも込められているのかも知れません。結局IAR.80のユモの搭載は失敗し、親切なドイツ人がPotez.63.11やらHs129やら山のようにくれたこともあって、ノームローンとの縁は全く切れないのですが…。

 まぁそんな妄想はともかくとしても、この辺りの疑問が生じたお陰で、S/S本を熟読する気力も沸いたし、お陰で塗装を決めるにあたってそれなりに納得がいった(というか諦めがついた)のも事実です。まぁ私的にはこの辺が収穫だったかなということで勘弁していただければと。


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