Polikarpov I-5

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<実機について>

 I-2、I-3辺りの実用化で何とか戦闘機の国産化に自信を持ったソ連邦。その後継機として1928年からの5ヵ年計画の中で木金複合構造のI-5と全木製(そりゃエンジン廻りとかは金属でしょうが)のI-6を平行して開発することが決定されます。ポリカルポフ先生のOPO-1にお鉢が回ってきたのは実はI-6のほうだったんですが、翌29年9月には肝心のポリカリポフ先生が投獄されてしまう始末。一説にはI-6が29年8月と決められた期限までに完成しなかったためとも言われていますが、それはそもそも〆切に無理があるんでは…。とまれポリカルポフ先生はKB“VT”こと収容所設計局(KBが設計局、VTがinternal prisonを意味するんだそうで、この名前のインパクトが余程強かったのかRed Star本では一貫して上記のようにVTを引用符で括って表記しています。)で働くことになります。

 一方のI-5はツポレフ−スホーイのラインで開発が進められており、そういわれて見ればI-5のラインはポリカルポフのI-3よりもツポレフのI-4に似ているような気もします。と言いつつポリカルポフ先生のI-6もこれまた似たようなラインなんで、結局はおなじみTsAGI辺りの強烈な指導があったのかも知れませんが。このI-5の開発がKB“VT”に移管されたのは、建前上はツポレフ先生が大型機に専念するためということにはなっていますが、実際のところは良く判らずKGB(というかこの時点では前身のOGPUで、どうも組織上KB“VT”はこの下にあったようです。)の陰謀説まであったりします。しかしP先生が投獄された後でKB“VT”に移管されたということはI-5のほうも当然(それも大幅に)〆切に間に合っていないわけで、どうしてツポレフ先生は捕まらないのか些か理不尽な思いもないではありません。

 ともかくI-5を担当すべくモスクワ近郊の第39工場にポリカルポフ先生が移ったのが1930年の初めで、同年3月末には実大モックアップが完成、翌4月29日にはもう1号機が初飛行を迎えたと言いますから、先生の手に渡った時点で基本設計はかなり固まっていた可能性が大です。VT-11と呼ばれた試作一号機は赤星の中にVTのロゴをあしらったマークも凛々しく無事に初飛行を終えますが、VTが何の略かを考えるとさしずめ日本なら星の中に

「刑」とか「獄」とかをあしらったマーキング

になっちゃうわけで、結構インパクトのあるマーキングではありますわな。1、2号機はエンジンの各シリンダヘッドが個別に覆われた独特の形状なのに対し、3号機からはタウネンドリングが導入されプロペラも金属製に。これが量産型の標準的なデザインになっていきますが、量産型も初期のものは個別のシリンダカバーを持つ1、2号機風のデザインだったりします。

 ライバルI-6(といってもまぁ異母兄弟みたいなもんですが)とのコンペを制したI-5は赤軍の1930年代前期の主力戦闘機となり、試作3機、増加試作機10機の他にモスクワの第1工場で142機、ゴーリキーの第21工場で661機がそれぞれ生産されています。といっても第1工場では1933年に生産を打ち切ってドイツ製He37のライセンス生産(これがI-7にあたります。)を始めたりもしているので、今ひとつ信用されていなかったのかも。1934年からはI-15に活躍の場を譲ったI-5はその後の幾多の紛争に巻き込まれることもなく高等練習機などとして地味な生涯を送りますが、大祖国戦争初頭の前線部隊の壊滅により、一部の機体が飛行学校などからかき集められて前線に投入されています。モスクワ攻防戦などにも参加している由で、Po-2の仕業とされていることの一部くらいは担っていそうな気がします。


Polikarpov I-5(試作2号機)
寸法諸元10.24×6.78(W×L) 全備重量1,355kg
主機M-22(公称480HP) 最大速度278km/h (海面)*1)
初飛行1930.04.29 最大航続距離660km
武装PV-1(7.62mm)機銃×2*2)


*1)“Polikarpov's Biplane Fighters”では海面以外での最高速度の記述がないんですが、英語版のWikipediaでも同じ数値が掲載されている辺り、どうも本当に全開高度での速度記録は残っていないのかも知れません。単に英語版WIKIの著者も同じ資料しか持っていないのかも知れませんが。
*2)胴体両側面にも機銃用の溝が切ってあるのでもわかる通り、当初の予定では4挺を積む筈だったんですが、重量の問題で実際に4挺積んだ機体は極少数だったとか。尤も作例の機体は600HPのM-15を積んでパワーに余裕がある筈ですから、4挺積んでいたかも知れません。


<キットについて>

 チャトの前ではこれまた影の薄いI-5ですが、例によってウクライナの愛国メーカーICM社から気合の入ったキットがリリースされています。試作1、2号機とタウネンドリング装備の後期量産型(というか3号機以降)の2種類のパッケージが出ていてコンパチではありません。まぁ相当色々なところが違う機体なんでコンパチにならないのは仕方ないんですが、共通ランナーのうち必要なパーツだけを入れるようにしているためか、ランナーが相当に細切れになって箱に入っていたりするのにはちょっとたじろぎます。

 試作1、2号機版は2号機で増積された垂直安定板も2種類入っていたりと気合が見られますが、1号機用の細い主脚柱がなかったり、ヘッドレストからのフェアリングは自分で削らなければいけなかったりとちょっと面倒。後期型のほうも主脚スパッツや幅広の木製ペラなどマイナーなバリエーションも網羅されているのが嬉しいところ。いずれもデカールの品質が微妙なのが残念ですが…。


<製 作>

 先に出たI-15bisよりも格段に合いの良くなった感があるこのキット。ただどういったわけかプラが非常に脆くて下手にニッパーを入れると周囲がぱっくり割れることもあり、細心の注意が必要になります。個体差だといいんですが…。コックピットもオリジナルのパーツくらいで良い感じに仕上がりますが、椅子を胴体に付けるところが殆ど点付けなので、これまたランナーで筋交いを入れて補強してやります。上手く組めば主翼側に付くほうの部品にシートが上手く乗っかる形になる筈なんですが、先に主翼の取り付け後にシートを入れることも出来ず、先に付けておくと精度が出ないのでどうしても主翼側の部品と干渉するようになるのは悩ましいところ。結局仮組みしては摺り合わせて組んでいくしかなさそうです。

 翼端支柱が一般的なN字型なので棟上は比較的楽。ただ、中央支柱との辻褄はやっぱり上手く合わせられず、本来の取り付け位置からずれたところにやや強引に付けたりしています。このあたり

キットが悪いのか施工者の腕なのか

微妙なところではあるんですが…。

 初期型のほうは塗りわけが楽な試作2号機に。資料によって全面赤とか全面緑とか意見の割れている機体ですが、全面赤はちょっとどぎついし、白文字との明度差からするとかなり暗い色っぽいということで暗緑色に。どこかで読んだ通常のロシアングリーンよりももっと暗く茶色味の無い色という話を思い出して、何を隠そう旧海軍の濃緑色(つまりクレオスの15番)をベースに適当に調色しています。後期型のほうは銀地に真紅のペナントも凛々しい試作3号機。折角の派手な塗装なので銀部分はアルクラッドを奢っています。前半の金属部と後半の羽布張り部で微妙にトーンを変えていますが、ちょっと明度差が少なすぎて全然判らなかったり。ペナント部分は流石にややこしいんでデカールを使ったんですが、色は合わないわ恐ろしい勢いで割れまくるわで大変でした。これから作る人は時々投売りされているSpecial Hobbyのチャトから奪ってくるのがお奨めかも知れません。出来の良いスキーも付いてくるし。

 尚、本作品はJMC2007オービーズブースにて展示させて頂きました。



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