Hawker Hurricane Mk.IId ソヴィエト赤軍空軍




<実機について>

 というわけで、今回は連荘でソヴィエト赤軍空軍機。同じ国籍なんで一つページに纏めようかとも思ったんですが、まぁ考証というか、

言い訳というか

まぁ色々あるもんですからテキスト量が増えちゃいまして…。

 大戦中期から(ぶっちゃけ戦闘機としては陳腐化したこともあって)色んなところに払い下げられているハリケーンですが、翼下に40mm砲を装備したMk.IIdについては殆ど海外で使用された形跡がありません。それだけRAFにとっても有用であったというよりは、おーかた絶対数が少ないとか弾薬を供給するのが面倒とか*1)その程度の理由でしょうが…。そんなわけでMk.IIdが本国以外で使われた恐らく唯一の例がこの赤軍空軍。何でもヤルタ会談の時にスターリンがチャーチルに直々に頼み込んだんだとか。大方クルスクでJu87G-2とかHs129B-3とかにいたぶられた記憶が鮮明だったんでしょう。チャーチルも

エアラコブラでいーじゃん

と思ったかはさておき、通常のレンドリース経路とは別に、北アフリカにあった機材を中東経由でフェリーしてここにめでたく赤軍Mk.IId部隊が誕生したのでした。当初約束した60機のうち46機が到着し、それなりに使い勝手が良かったのか(それとも北アフリカで持て余されたのか)更に追加で最大30機ほどのIV型も送られたとか。

 かくて赤い星のマークを纏ったハリケーンは主として441戦闘機隊、246戦闘機隊などで使われましたが、前者は何故か敵爆撃機の迎撃などに用いられ、結局“None of these sorties resulted in a success”とのこと。どうも根本的に間違った使い方をされていた気配が…。後者は44年6月までアゼルバイジャン辺りにたむろしていたらしく、その後前線に送られたものの“This unit failed to take part in fighting”だとか…。まぁそもそも40mmと言ってもエアラコブラの37mmと威力は大して違わなかったろうし、こちらは空戦は全くの不得手だし…。大方同志スターリンもいい加減、

エアラコブラでいーじゃん

とか思ってたんじゃないでしょうか。
*1)まぁそれを言ったらMk.IVをユーゴスラビアが使った例はあるんですが、でもこれならRAFも近くにいるし、そもそもその頃はロケット弾装備が主体だから40mmはあまり使ってなかったろうし…。


Hawker Hurricane Mk.IId
寸法諸元12.2×9.81×3.98m(W×L×H) 最大速度3,568kg
主機Rolls Royce Merlin XX (1,260HP) 最大速度
初飛行1941.09.18 最大航続距離740km
武装40mm Type S機関砲×2、Browning .303 (7.7mm)機銃×2


<製 作>

   レベルのMk.IIcはハセガワのと違って20mm機銃が別パーツになっており、製作中のありがちな損傷を防ぐのにも良いんですが*2)d型に改造するにもちょっと便利だったりします。というわけでハセガワ限定のMK.IIdのキットから40mm砲のパーツのみ略奪。というか、実は本体部分は既にMk.IIcとして完成して、このギャラリーのどこかに紛れていたりするんですが…。40mmの砲身部はうっかり折ってしまったこともあって真鍮パイプで作り直し。1.1mm/0.9mmのものと0.9mm/0.7mm(それぞれ外径/内径)のものを組み合わせています。

 後は、主翼上面に張り出す20mm機銃のバルジを削り落とし、モールドをちょっと修正。20mm機銃の取り付け穴は塞いで、内側のほうに.303の銃口を開口してやります。.303の給弾アクセスパネルと薬莢排出口はよく判らなかったため、内側の20mm銃のモールドをそのまま利用しました。外側の20mm用の給弾アクセスパネルのモールドは埋めますが、薬莢排出口のほうは別に塞がなくても、40mmを取り付ければ見えなくなります。

 塗装についてはあらゆる資料でRAF後期のオーシャングレイ/ダークグリーン迷彩となってるんですが、上記のように書記長直々のお声掛かりで特別に手に入れた品であること、入手経路からデザートスキームのままロシア入りした可能性も高いこと、などからこんな塗装を施していた可能性もあるんじゃないかと暴走してみました。赤軍のカラースキームで全面リペイントするならRAFの迷彩パターンである必要はないんじゃないかとか、そもそもこのカラースキームが適用されたのは44年からじゃないのか*3)とか、色々と仰りたいこともあるかとは思いますが、若気の至りと見逃して頂ければ幸いです。

 色そのものについてはハセガワのYak-3のインストではAMT-11(明るいほうのグレイ)がガルグレー(11)、AMT-12(暗いほう)がジャーマングレー(40)となっています。またエデュアルドのLa-7ではAMT-11がグレーFS(317)、AMT12がエクストラダークシーグレー(331)となっています。AMT-11は少し青っぽい印象があるのと、エデュアルドの組み合わせでは少し暗すぎる気がしたのとで、結局AMT-11はミディアムシーグレイ(335)、AMT12は特色のオーシャングレイと軍艦色(32)をほぼ1:1で混ぜたもので塗ってみました。いざ塗ってみるともう少し2つのグレイの明度差が大きくなるような組み合わせのほうが良かった気もするのですが…。

 デカールは前回と同じAML社製の“Hawker Hurricanes in Russian service Pt 2”。これも数字、赤星の縁などが銀色になっており、見てくれは申し分なし。ただ、塗装説明図の左右で迷彩パターンが全く繋がらないのはどうしたものかと…。

*2)因みに私の実績では大体Mk.IIcを2機作る毎に1本くらい折ります。結構取り落としたりする割には不思議とアンテナ支柱は折ることが少ないような…。
*3)実はこのグレイ2色のカラースキームの導入時期というのがよく判らなくて、“Modeling the Aircraft of Soviet VVS”でも43年(の何時なのかは不明)に導入されたこと、実際に適用され始めたのは44年の始めからであったらしいことくらいしか判りません。21号機は43年の9月にロシア入りしているわけで、その頃のリペイントとするとこのカラースキームが適用される可能性は低そうです。同機は1944年になるまで残存していたようなので、暫くデザートスキームで使用された後、43年末に冬季にも目立たなさそうなグレイ2色のスキームにリペイントされたと考えれば何とか辻褄が合わないこともないのですが…。



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