North American P-51B オーストラリア空軍機




<実機について>

 オーストラリア空軍で最初にMustangを装備したのはイタリアに展開していたNo.3 Sq.で、1944年の11月から終戦に至るまでIII型、IV型の両方を用いて北イタリアやユーゴスラビアの上空で作戦を行っておりました。太平洋戦域でも1945年には214機のP-51Dと84機のP-51Kを受領していますが、これで作戦を行った部隊はなかった模様です。

 これと共にコモンウェルス社におけるライセンス生産も企画されましたが、まぁ色々紆余曲折があって結局最初の自国製Mustangの初飛行は1945年の4月も押し詰まってのことでした。それも最初の80機はアメリカ製の部品を組み立てただけのものであったとか、更に終戦までにラインを出たのは17機であったとか…。なんか、

ワイラウェイとかブーメランとかをでっち上げてた頃の方が気合があったんじゃ…。


 終戦に伴って契約も縮小されたのでコモンウェルス社は細々と生産を続行。先の80機に加えて120機、計200機を生産したとのこと。参考までに以下の3バージョンがあったそうです。

名 称主  機 生産数シリアル番号 備 考
Mustang 21Packard Merlin V-1650-7 26A68-95〜A68-120
Mustang 22Packard Merlin V-1650-7 28 A68-81〜A68-94、A68-187〜200F24カメラ装備の偵察型
Mustang 23Rolls Royce Merlin 66 or 70 66A68-121〜A68-186

というわけでエンジンは全部輸入品だったとのこと。なんか、

ワイラウェイとか…(略

 それでもせっせと作ったマスタングを装備した飛行隊は朝鮮戦争にも参戦し、最初に参加したNo. 77Sq.などは3,800ソーティの出撃をこなし、18機を失うという奮戦ぶりを見せております。しかし、51年からはグロスター・ミーティアへの代替が始まり、最後には1959年にヴァンパイアに取って代わられることで完全に退役します。幾つかの機体は民間に払い下げられて、今尚飛行可能な機体もあるとか…。

 で最初に戻って、作例はその3Sq.の機体。S.E.A.C.所属機のような白帯が印象的ですが、なんでそんなものが巻かれているのかは謎。S.E.A.C.からその時期に機体が流れて来るとも思えませんし。日本海軍で、1944年の261空で非常に目立つ色の帯を巻いた零戦21型が訓練機材として使われていた(←という説が昨今は主流だと思うんですが…。)のと同じような事情かも知れません。


<製 作>

 使用キットは今回もアカデミー。例によってシートベルトの追加と内部の遮蔽板以外は特に手を加えずに組んでいます。

 スピナーとラダーはメディテラニアンブルーとのことで、色合いが判らなかったこともあって安易にハンブロールの同色を使用。ラダーはインシグニアブルーのほうが南十字との取り合わせでオーストラリアっぽくなりそうな気もするんですが、ありとあらゆる文献でメディテラニアンブルーとか明るいブルーとか書かれているんでやむ無し。実機はスピナーの先端付近が色剥げしているようなんですが、他にウェザリングをしていないのにそこだけというのも違和感があるので無視。

 デカールはModel Allianceの“On Target P-51 Mustangs”。カナダ空軍機、ニュージーランド空軍機なども含む7機分を網羅しています。同社から出ているProfile集と対になっているデカールセットで、そのためかインストの図が恐ろしく小さいのが困りもの。右側面の図もないし。まぁ収録されている機体はRAFの標準迷彩パターンか銀無垢かなんで、何とかなることはなるんですが…。デカールそのものはCutting Edgeのものなんかに近い感じで、非常に柔らかく馴染み易いんですが、その分クレオスのセッターなんかを使う時には注意が必要です。


世界のマスタングインデックスに戻る
トップページに戻る